名無しの -9-


「……これ、晩飯っすか」

「そらもーバリバリ晩飯っスよ」

 テーブルに並んだ白箱二つ。見慣れたヒゲおじさんも今日は二倍になって元気満々なのであった。いやしかし驚くまい。この部屋がミキの家に負けず劣らず非常識なのは、とっくの昔に知っているのだから。

 七月もそろそろ終わりという今日この頃。夕飯でも食いに来ないかい、とマツイさんから誘いが来た。無論、マツイさんの出す食事なんてろくなモンじゃないとは思っていたが、最近ちょくちょく泊まりに来やがるクソ野郎のお陰で質素倹約中の我が家にとって、一食分食費が浮くという話は実に魅力的なのであって、つい釣られて来てしまったという訳である。

 気分が乗らない、というのも確かにあった。あの夜、ミキにまんまと誘い出されて、世間を騒がせた殺人犯に危うく殺されかけた両人である。あれ以来、マツイさんと真っ当に顔を合わせる機会がなかった為、なんとなく会うのも気が引けたんだが。背に腹は替えられないと言うか、意地じゃ腹は膨れないのである。

 そんなこんなでマツイ宅。日もまだ落ちない夏の夕食時、余所の家ではきっと当たり前の一家団欒を満喫していることだろう。それらに対し、マツイさんと俺の囲むこの珍妙な食卓が上か下かは言うに及ばないとしても、一人でカップラーメンを啜っているよりはマシなのかも知れない。欲を出せば言いたいことは山程あるが、俺にはこれくらいが丁度良いのかな、なんて風に思わないでもない。

 ……何とも妙な位置取りにくすぐったくなる。向かいに座っているマツイさんも沈黙に耐えかねてそわそわしてきたことだし、もぐもぐとドーナツでも食いながら、こみゅにけーしょんと参りましょうか。

「まさかとは思うけどマツイさん、毎晩ドーナツ喰ってる訳じゃないでしょうね」

 パッと、マツイさんの電源がオフからオンに切り替わった。

「やーだなミーちゃん、そんなワケねーでショウ。精々週四回くらいだゼ」

「アホですか。肥満とか糖尿病で将来絶対後悔しますよ」

「そーんな来るかも怪しい将来のオハナシなんざ、あたしは気にしてないのよな」

 笑顔でさらっと怖いこと言いやがる。せめて親よりは長生きしようぜ人として。

「で、その四週以外はオールコンビニ弁当、と。駄目ですよマツイさん。自分の食事も満足に作れないんじゃ、嫁の貰い手マジでいませんよ」

「だってメンドイんだもん。いーの、あたしは料理の出来る旦那さんトコ行くから」

 この人の非常識は筋金入り、というか、実はわざとやってるんじゃねぇかってくらい徹底されてるのはどうなんだろう。と、よくよく見回してみると周りのオカルトグッズ群にまた新入りがいやがる。なんだあの口から血ぃ流したクマは。

「あのさマツイさん。料理とかの家事ってのは女性の仕事でしょ。男は外行って働くもんです」

「あー。そーゆー言い方するとフェミ集団に折檻されるゾ」

「はい?」

 はて、と首を傾げる。『フェミ』ってフェミニズムのことだよな?

「いやいや、それって男女平等を主張するやつで、不当な差別を無くしましょ、ってのでしょう。何でそこで出てくるんですか」

「え? そりゃーミーちゃん、女は家事するモンだー、って決め付けてる時点で差別だ……って、ことなんじゃないの?」

 小首を傾げつつ、自信なげにマツイさんが言う。まあ、こんな現実的かつ小難しい話をマツイさんが熟知している訳もなく。

「そりゃあやりすぎでしょう。それは差別じゃなくて適材適所って言うんです。特にそう言いながら両親共働きで子どもほっぽっとく母親、俺は賛成出来ません」

「あー……」

 困惑して黙り込むマツイさんを見て、ちょっと言いすぎた気がしてきた。

 どこの誰が何をどのように信じていようが、それだけなら俺には何の迷惑も掛からない。俺だって、自分の主義主張を他人に押しつけるようなことをするつもりはないし、その辺はイーブンってことでスルーすんのが一番だ。……勿論、押しつけられたら話は別だが。

「……旨いですね、ドーナツ」

「なんたってミステリーだもの」

 うっちゃって食事に逃避する。栄養バランスの欠片も考慮されていないが、まあそんなものはいつも考慮してないんで置いといて。食事とは腹を満たす行為である。腹が膨れりゃそれでいい。何より旨い。外のチョコと中のクリームが絶妙なのである。しかもタダ、奢りで無償で完全無料。奇怪な連中に見守られてさえいなければ天国と形容したとしてもまあ許してやっても良いかも知れない状況である。

「ホントはね、ミキさんも誘ったんだけど」

「ごフッ」

 たった今ドーナツは凶器へと変貌を遂げた。天国から地獄に真っ逆様である。

「ダイジョブかいミーちゃん。あ、ねえねえ今気付いたけど二人ともミーちゃんじゃんネ。すっごい偶然」

 コーヒーを流し込んで窒息死回避。しかし未だ目がチカチカして息苦しい。これがマンガとかの話だったら、きっと三途の川とかを垣間見ることが出来たりしたのだろう。

「……ア、アンタ、目の前で轢き逃げ事件が起きたら確実に車の方追いかけるでしょ、轢かれた人間ガン無視で」

「んー、どーだろ。実際遭遇してみないと分かんないコトってあると思うんだ、あたし」

 嘘でも否定して欲しかった。それはさておき話を戻そう。今この人、聞き捨てならないこと言った。

「ところでマツイさん。その、さっき言ってた『ミキさん』ってのは、ひょっとしてひょっとすると俺も知ってる人なのでしょうか」

「え。だってミーちゃんのカノジョでしょーがよ」

「彼女違います」

 そこは断固として否定しておく。というかマツイさん、年下相手にさん付けすんなよ。

「じゃあ、なんでマツイさんがあいつの名前知ってて、しかも夕食に招こうとか考えてんですか」

「そりゃ勿論、オトモダチだからサ」

 誇らしげにググッと、細めの親指が立ち上がる。そして血の気が引いていく俺を余所に、マツイさんは頼んでもいない経緯を説明し始めた。


 なんでも某日、例により駅前通りをウロウロしていたところ、後ろから聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、振り向くと色んな意味で信じられない白髪美女が微笑んでいたそうだ。無論ミキのことである。折角だからと近場の喫茶店に入りあれこれ話をしている内にすっかり意気投合し、今では週二で電話し合う仲であるという。


 いつぞやの目眩やら頭痛やらがぶり返してきそうな話だった。そうか、既にミキが接触していたのなら、あの日の話をマツイさんが何も聞いてこないのも納得だ。いやそんなことより、ミキがマツイさんとお友達? 今世紀最強の変人二人が夢のタッグを組んで一番迷惑を被るのが誰なのかってそりゃもう俺しかいねぇんだよド畜生が!

「でね、今日ミーちゃんと一緒にご飯食べよって言ったら、なんか都合悪いんだって。じゃあ別の日にしようかって聞いたら、気にせず二人で食べちゃって、ってサ。あーもーなんていじらしい!」

 その感想は致命的に間違ってると思う。取り敢えずアオとは会っていないようで一安心だが、それにしても悪寒が絶えない。俺の余命ってあとどれくらいかな、アハハ。

「でも凄いよねぃ、ミキさん。あ、ミキっち? おお、ミキっちいいネ。よし今度からそう呼ぼう」

「はいはい。で、何が凄いんですか」

「んーと、ふいんき? じゃなくって雰囲気。こう、大人っぽいと言うか、立派っつーか。中も外もさ、やっぱ高校生じゃないんだよねぃ、レベル的に」

 自らの慎ましやかな凹凸部分にポフポフと手を当てるマツイさん。意外だ、この人でもそんなこと気にするのか。

「まあ、外は分からないでもないですけど。でも中はどうですかね。あれはどう考えても腹黒ですよ」

 至極当然なことをごく自然に言ったつもりだったが、

「うわ、ミーちゃんマジ? ありゃあオール純白デスよ。無粋だのなぁ、だからきっとオンナノコにモテないんだねぃ。カワイソ」

 既に洗脳が完了しているらしいマツイさんに一蹴された。いやそれよりモテないとか大きなお世話だ。人類の雄に興味ない人に言われたくない。

「……はぁ。いいですよもう。そうやってどいつもこいつも騙されてりゃいいんだ」

「むぅ。成る程、素直じゃないのだねオトコノコ。青春の塩味だ」

 俺の台詞のどこをどう解釈すればそんなにやけ顔が出てくるのか。どうにも宗教じみている。アレの正体を知ったら、あまりのショックに首を吊る奴すらいるんじゃないだろうか。

 ……本当は、あいつの手の上で踊らされてるだけなのに。

「あーところで、結構前から気になってたんだけどサ」

「なんすか」

 苛つきがそのまま声に出たらしく、マツイさんがビクリと肩を引く。一言謝ってから先を促す。

「うん、いや、そんな大したコトじゃないんだけどねぃ。ミーちゃん、ミキっちとどうやって知り合ったのかな、ってさ」

 本当に大したことじゃなかった。疑問はごもっともだが。

「はあ。ミキには聞いてないんですか」

「聞いたけど、なーんか上手くはぐらかされたような気がしてならねーのですよ。後になって余計に気になってきたっつーか」

 ミキ、下手に言い触らさないのはいいんだが、それは面倒事を俺に押し付けたってことだろ。頭に来るよ、ホントに。

 さて、どう説明したものか。偶然で片付けて、変に勘繰られても厄介か。何せ相手はマツイさんなのだから。

「……あいつ、昼休みになると来るんですよ、ウチの教室に。なんか大勢人集めて、妙な講義開いてくんです」

「あー、それは聞いたことあるねぃ。学校で一番楽しい時間だとか」

 あれがかよ。いや確かに、楽しくもないことを毎日毎日繰り返すなんて誰もしないだろうけど。

「まあ、俺は参加したことないんですけど。っていうか参加しなくても聞こえるんですが。あいつ、必ず俺の右隣の席に座るんです。真横ですよ真横。そこでペラペラペラペラ昼休みぶっ通しで喋りまくって、それが終わった後、わざわざ俺に声掛けていきやがるんですよ。こんにちはとか、邪魔したねとか、今日はいい天気だねとか。ほんと他愛のない、挨拶程度なんですけど」

 事実である。お陰で俺のあだ名は全校に知れ渡った訳だ。

「ははぁ、そうやってるウチに仲良くなって、いつの間にかオトコとオンナの仲に――」

「なってません。舌引っこ抜きますよ」

「ちょ、何気に怖いコト言ってるぞミーちゃん。エンマさま?」

 繰り返すが、これは何がなんでも否定しなければならない。誤解であれ、もしそんなことが学校の誰かの耳に入ってみろ。教師公認集団リンチのあと裏山に埋められるぞ。

「ん、でも可笑しいねぃ。なんでわざわざミーちゃんの隣の席なん? 仲いいから、ってんなら分かるけど、それじゃ順番逆だのな」

「んなもんこっちが知りたいくらいです。……でも俺が思うには多分、その隣の席、今は誰も座る奴がいないからではないかと」

 綺麗だからね。使う人間がいなければ。

 俺は納得してるが、マツイさんはしてない様子。なんだそりゃ、とクエスチョンマークを浮かべている。

「そいつ、入学式にはいたんですけどね。暫くしたら突然学校来なくなって、今までずっとそのまんまです」

「ありゃ、不登校? それとも自主退学ってヤツかね。高校ってそういうの多いらしいからねぃ。自分に合わないからもっかい受験し直します、ってネ。あたしの時も二人ばかしいたなぁそう言えば」

 学校やめた、なんて話は聞いてないから違うだろう。でも見た感じ、不登校になるような風でもなかった気がするけど。人は見かけによらないってことなのだろうか。

「……でなきゃ、もしや自殺かもねぃ」

 事件のニヲイがするぜ、と探偵気取りよろしく不適に笑うマツイさん。しかし自殺なら事件の臭いなんてしないと思うんだが。

「縁起でもない。そしたら花の水替えが俺の日課になってますよ」

「うゆ。キミ、イインチョさん?」

 切り返しが予想外で、ほんの少し硬直する。

「……あー、そっか。学級委員長がやらされるのか」

 なにせ有名無実、完璧に名前負けしてる役柄である。入学式当日に教師に指名された不幸な某君が未だに泣く泣く続けている訳だが、仕事の内容的に言ってアレは雑用係だ。雑用イコール裏方。面倒臭いし地味で単調、目立たないことこの上ない。習慣化されてくると更に存在感が薄れる。するとついうっかり忘れてしまったりもするのである。

 いやこの際、綺麗サッパリ忘れてしまおうか。所詮、ただの集金係だ。極めつけのアホだ。ああ、そういう意味ではみんなにとても重宝されているじゃないか。喜べ委員長。頑張れ委員長。骨くらいは拾ってやらないこともないかも知れない。

「ま、死んじゃいないでしょ、多分。それよか早く席替えしないもんかなぁあの担任は」

「そらー無理だねぃ。サチウセンセは年度初めに一回しか席替えしないタイプだから」

 どんなタイプだ。しかしまぁ、そのセンセと三年間付き合ったマツイさんが言うのだからまず間違いないのだろう。くそ、やっぱりあの教師も嫌いだ。俺が引き籠もり始めるのも時間の問題なのではないだろうか。

 そこで、何やら薄気味悪い不協和音が流れた。発信源は充電器に刺さって床の隅に放置されているマツイさんの携帯電話。ストラップがミニグレイ人形なのは言うまでもない。

 ハイハイー、と四つん這いになってケータイに向かうマツイさんを眺めつつ、ふと気が付いた。

「あれ。マツイさん、その着信音って誰からですか? 聞いたことない曲ですけど」

 なんとも面倒臭そうな話だが、マツイさんは相手によってケータイの着信音を個別に設定しているのである。俺の場合は確か、電話・メール着信共に、携帯電話を題材にしたホラー映画の主題歌の着メロなんだとか。俺は全く知らないんだが。

 俺の質問に――あ、まさかミキからじゃ……、なんて今更ながらに思って焦ったが――マツイさんは慣れた動作でケータイを操作しつつ、反応してくる。

「母ケータイ用の着メロ。世にも不思議なテーマ曲。でも今メール送ってきたのは弟。ウチ、個人ケータイは高校からって決められててサ、弟のヤツまだ自分のケータイ持ってねーのよな」

 けどアイツ機械音痴だけどねぃ、などとマツイさんは続けた。ほっと一息。その間も、ケータイの電子音がピコピコ凄い早さで鳴り続けている。

「知りませんでした。弟いたんですね、マツイさん」

「ん、言ってなかったっけ。あー言ってなかったかもねぃ。ウン言ってなかった。四つ下の弟で、名前リューノスケ」

 マツイさんの四つ下というと俺より一つ下で、成る程中学生なワケだ。マツイさんの実家は都内のベッドタウンだそうだが、そこで両親と三人暮らし、なのか。信じがたい事実ではあるが、この人も至極真っ当な家庭で育ってきたのである。

「で、何て言ってきたんです」

「例の特番、そろそろ始まるよー、だとサ。あのね、今日の七時から――えっと、あと五分チョイだねぃ。世界不思議特集って番組やんのよ、テレビで」

 この部屋にテレビなんてあったかな、と思って探してみたら、確かにあった。オカルトグッズの僅かな隙間から辛うじて、テレビの画面らしき黒い物体を発見出来た。ウチに置いてあるのとは違い、一人暮らしらしい小型である。

「弟さんも熱心なオカルトファンだったりするんですかね」

「やー、どーだかねぃ。リューは 怪奇現象 オカルト よりは 探偵小説 ミステリ 好きってカンジだったカナ」

 方向性が似てるのは流石姉弟と言うべきなのか。少なからず姉の影響を受けてるな弟君。

「でも、なんでわざわざメールしてくるんでしょうね。マツイさん、言われなくても絶対見るでしょ、そういう番組は」

「いつもはネ。でも今日はちっと見られなかったかも知れなくってサ」

「は? なんでです」

「今日ね、オカ研で送別会やったのよな。いい加減学校卒業したいから会をやめる、って言いだしたセンパイがいてさ。カラオケやらゲーセンやら娯楽施設はしごしまくり。その場のノリ次第じゃ、番組の時間までに帰れないかも知らん、って思って、実家に録画お願いしてたのネ」

 ピコピコピコピコ。すげぇ、しっかり会話しながらよくあれだけ指が動くな。実はテキトウにボタン押しまくってるだけなのでは。

「送別って、俺の知ってる人ですか? えっと、宇田さん」

「や、ウタっちじゃない。ミーちゃんは確か、会ったことはなかったと思うナ」

 宇田さん、というのはオカ研所属の先輩である。車の免許を持っているらしく、たまにマツイさんを家まで送ってきたりする、物凄ーく気前のいい人だ。いつだか俺に弁当くれたりもしたし。

「四年生二回目の人。留年なんて一回も二回も同じでしょって午前中ずっと説得したけどダメで、じゃあしょうがないねって午後はお別れ会になって」

 説得の仕方が駄目人間丸出しなんだが、ちょっと意外な話だった。何てったってあのマツイさんが、大好きなオカルト番組よりも仲間の送別を優先したと言っているのだ。まあ、今現在此処にいる辺り信憑性はそう高くないんだが。

「……っていうかアンタ、大学は? 授業は? 午前説得午後娯楽って、なに立派に暇人してんですか」

「何をおっしゃるミーちゃんよ。今や大学はテスト期間中。授業なんてもう数ヶ月先までないし、テストも週数回、一日に一つ二つあるだけ。なんとほぼ夏休み状態なのだゼ。と、ミーちゃんそこのリモコン取っておくれや」

 なんとなんと。大学ってのはこの時期そんなに暇なのか。そう言えば担任曰く、大学生活が一番楽しいものだったらしいが、この人を見ているとよく分かる話である。

 ヘイヘイと手招きするマツイさん。これまた部屋の隅に転がっていたリモコンを発見し、拾い上げてからマツイさんにパスする。

 さて、丁度良く立ったことだし、そろそろ引き時か。

「じゃあそろそろお暇しますんで、さよなら」

「あー、ちょっと待ってよぅ。いいじゃん、一緒に見よーぜミーちゃんってば。ホラ、ドーナツだってまだ残ってんだしサ」

 右手でケータイを弄り、左手でテレビの電源を付け、両脚で以てテレビの前のフィギュア群を丁寧に退けつつ俺を呼び止めるマツイさん。上から見下ろしていると尚更思う。ホント、なんなんだろうこの生き物、と。

「いや、ご馳走様でした。十分腹は膨れました。つまんないテレビ見るくらいなら帰って寝ます」

「つ、つまんなくねーよぅ。摩訶不思議の魅力ってモンがどーして理解できんのか、あたしにゃあさっぱり――」


 次の瞬間、俺達は揃って沈黙した。そしてテレビで流れるニュース――たった今入ったばかりらしい情報を読み上げるアナウンサーを凝視し、しばらくの間、呆然としたままでいた。

『ああ。内容からして、青柳に殺された女性の首でほぼ間違いないだろう。公における個人の断定も時間の問題だ。彼等は青柳のバックの存在を指摘していたが、状況証拠以上の物は出てこないさ。

 ……ふん? 何をそんなに驚いているんだ。言ったろう、青柳の能力は“人体の一部、及び全部を別の場所へ移動させること”だとね。女の首を見た時、青柳はこう思ったんだよ。“ あんなもの があそこにあってはいけない”とね。要するに、場所なんて何処でもいいから兎に角消えろ、と念じたんだ。能力について青柳が理解していれば、ある程度移転先の指定も出来ただろうが……いや、これもまた、出来たとして結果は変わらなかったかな。それで、結局はランダムで決められていたようだ。多分、他の十三個の首も何処かにはあるよ。人間の踏み込める場所にあるかどうかは知らないけれど。

 しかし、よりによって地球の反対側とは、いよいよ怪奇伝説じみてきたじゃないか。さっきからキャッチホンが鳴り続けているんだが、相手が誰か君なら分かるだろう? 実に素晴らしいね。彼女のような人間の手によって謎は謎を掘り返し、青柳 晃一朗の殺人は数日と経たず完璧な……、……ん、聞いているのか、チリ君』

 夏の夜空。星一つない暗色 天幕 テント 。我が家の玄関扉に背を預け、何となく気が抜けた感じで、面白味のない空を見上げる。

 高温多湿とはよく言うが、この外気は今現在の心境を的確に表している気がする。吹く風全部が熱風で、涼しさの欠片もなく、粘ついて、気怠すぎる外の空気。感化されたのはどちらが先か。いずれしても、これが心地いいなどと言い出す輩がいたならば、そいつは色々な意味で終わっていると思う。

 ケータイを閉じるついでに時刻を確認。……九時と十五分。見事に長居してしまった。と言うか、マツイさんに拉致されて帰れなかった、の方が正しい。なんであの人手錠とか持ってるんだろ。なんか本物っぽかったんですけど。

 まあ、冗談みたいな話は置いておくとして。

 あの手の番組は胡散臭すぎて今まで見たことはなかったんだが、マツイさんの解説付きなら多少は面白かった。何が凄いってあの人、UFOの目撃映像見る度に『これ偽物。シージー。影がない』『おお、これマジ本物!』という具合に言い当てるのだ。何処かの国の偉そうな教授が『これは本物です』と太鼓判押した映像に対し『これ偽物。プロの犯行』とか白け顔で言いだした辺りで、ああきっとこの人はでたらめを言ってるんだなぁ、と納得することにしたが。

 ……まあ、冗談みたいな話は置いておくとして。


『化け物め』

 今思えば。

『また、奪いに来たのか』

 壊れそうな程追い詰められた声。……だけど、

『駄目、なんだ。僕は、もう』

 駄目ってなんだ。もうってなんだ。首斬らなきゃやってらんねーとでも言いたいのか。

 冗談じゃない。とっくに死んでるヤツが、生きてる人間を殺さなきゃいけないなんて。大体、じゃあそのまま殺さなかったらどうなるって言うんだ。頭が可笑しくなる? 死にたくなる? 生きていられない? もう、死んでるくせに?

 擬獣ってのは、どうしてこう苛つかせてくれるんだろう。特にああいう、見るからに実害ありそうな奴。腹立たしいことこの上ない。死んだら死んだで大人しくさっさと天に召されて二度とこっちに来るな。それが常識だろうが。

 青柳が何に執着していたのか、まるで興味がなくなったと言えばそれは嘘だ。けど、もう知りたいとは思わない。簡単な引き算の結果だ。知らなくたって俺は生きていけるし、誰が困る訳でもない。あのマツイさんですらもう興味が失せかけてるらしく、ニュースで流れるまでは話題にすら上がらなかったし。

 もう終わりにすべきなんだ、アイツのことは。


「…………」


 ……全部終わりに、したいんだが。


 俺は今憂鬱だ。この倦怠感漲る空気に負けないくらいに落ち込んでいる。その理由の一つは、青柳――擬獣に対する憤りで間違いないだろう。けど怒りなんてものは、例えば風邪みたいなもので。一時限りの感情の揺らぎ。寝てれば治る。寝てれば忘れる。だからこんなのはどうでもいいんだ。

 従って。問題があるとすれば、それは。

「人体の一部、及び全部を別の場所に、移動」

 繰り返すのは、ミキの口から聞いた文字列。

 界装具なんて奇怪なモノを扱うようになってから、俺が何度も考えていたこと。擬獣は俺達に危害を及ぼす可能性を持っている。だから、それを排除しなくてはならない。排除する役目を負った何かが必要になる。

 擬獣の名を刈り取り、浄化させる“名無しの黒鎌”。それを手にする俺はまさしくそれであり、界装具とはそもそもその為の――擬獣を倒す為の武装なのだと、そう考えていた。

 なのに……。

「……人体の、一部」


 俺は今憂鬱だ。このまま崖とかに行ったらつい飛び降りたくなるくらい憂鬱だ。

 だから今日は、さっさと寝ることにしよう。


 夏はまだ、終わりそうにもないことだし。

夏夜の鬼 第一章「名無しの」 ―― 完 ――