前
「あー。悪いなミキ、もうじきケータイの電池が切れそうなんだ。もう遅いし、また明日掛け直してくれるか」
電話に出て開口一番の拒否。相手に何も言わせないことが長電話回避の必勝法だと最近気付いた。既にアズマとマツイさんで実証済みである。
『いやチリ君、四〇パーセントなら一時間くらい余裕で話していられるだろう。というか、充電しながら話せば幾らでも話せるじゃないか。私をそこら一般の機械音痴な
楽しいのはお前だけだ。半分くらいは。というかなんでケータイの電池残量まで把握されてるんだよ。本当に俺のプライバシーは大丈夫なのか。
「で、用件は何だ? 用件を話すか受話器を置くかお前にあるのは二つに一つだ」
『ふふん、チリ君。私の行動を制限しようとはなかなか大きく出たじゃないか。あまり調子のいいことを言っているとアオが夜な夜な君の枕元に立つことになるぞ』
「いちいち脅しが怖いんだよ。用件話さないんならもう切るぞ。電話ってのはどっちからでも切ろうと思えば切れるんだからな」
『ふと思ったんだがチリ君、電話を切るってなかなか物騒な言葉だと思わないかい? 正しくは音声通話の電波をとぎるぞという意味だとは思うのだけれど、しかし、この場合の切るは、鋏でちょきっとやってしまうことを言うのかな? それとも日本刀か何かでずばっとやってしまうことを言うのかな? ああ、今日はこのことが気になって夜も眠れなさそうだ』
「勝手に徹夜して吸血鬼にでもなっちまえよ」
心底どうでもいい。流石に我慢ならんと電源ボタンに指を掛けると、白々しくも慌てたように『待った待った、参った、私の負けだよ』と声が届いた。
「で、用件は?」
『まったく面白味に欠けるなぁチリ君は。そんなんだから女の子にモテないんだぞ。まあそれはさておき、仕事の依頼だよ。今日はなんと二件ある』
「うへぇ。二件? あのお化けども、このくそ暑い毎日にどんだけハッスルすれば気が済むんだよ」
『いや、一件は確かに擬獣関連だが、もう一件はちょっと毛色の違う依頼だよ。もちろん、両方とも報酬は払うから安心して欲しい』
毛色の違う依頼……? これまでミキから寄越される依頼は、細部の違いはあれど、とどのつまりは擬獣退治に終始してきた。そうでない依頼というと、何だ? ちょっと想像できないな。
『ん? 私としては君の予想が聞いてみたかったんだが。ねえチリ君、どうかな?』
「……怪獣退治、とか?」
『ぷっ』
あ、ミキ大爆笑してやがる。うるさいな、いきなり答えさせられたらそうなるだろうが。ああもうマジでうざい、本気で切ってやろうか。いやいつか斬ってやる。
『ああ、ごめんごめん。じゃあまずいつもの依頼の方からしようか。明日の夜、二十五時二十七分ジャスト、
「安心だね、じゃねぇよ。こないだの仕事でやらされた真っ昼間の街路でとかいうチョイスがまずあり得ないんだよ。つーか二十五時って方もはっきり言って嫌だぞ。睡眠時間削ってまでなぜに街頭掃除みたいな真似しなけりゃならんのか」
『チョイスと言われても、私が好き好んで選んでいるわけではないし。それに街頭掃除って君、流石に擬獣に対して失礼だね。私がいつも口をすっぱーくして言っているように、あれは死した生き物の成れの果て、思念の行き着いた一つの道筋だよ。言わば仏様という奴だ。崇めろとまでは言わないが多少の配慮はあって然るべきではないかな』
「生憎と俺は仏教徒でもなんでもないし、生まれてこの方墓参りもしたことがなくてね。死んだらもう二度と何もできないってことしか理解してないの」
ああもう、また脱線してるじゃないか。しかもこれ、長話大好きなミキの話術にどっぷりはまってる訳だから、完全に思う壺なんだよな。
「って、はいもーこの話し終わり。時間と場所は分かった。他に情報は?」
『今のところはないね。これも何度か言った記憶があるけれど、アオの探知能力は、擬獣に対しては発現してからでないと発揮することができないんだ。ごめんねチリ君、本当ならば君に、先んじて相手の名前を伝えてあげたいところ、本当に申し訳ないのだけれど』
「申し訳なさの欠片も感じんわ。できないものをやれとは言わないが、そうまで言うなら誠意を示せ誠意を」
『む、ついにチリ君が私の身体を要求し始めたぞ。貞操の危機か……』
「いっぺん死ねお前ー!」
ケータイぶん投げつつ叫んでしまった。今もう夜だって言うのに。隣のマツイさんに聞こえでもした日にはまた何かしら要らんことを詮索されかねない。そしてまた大爆笑してるミキ。いかん、トーンダウンせねば、トーンダウン。
『ああ、情報とは違うけど、終わったらまた私の家においでね。労いに夜食くらいはごちそうしよう』
「はいはい。せいぜい腹減らして行きますよ。じゃ」
通話を終えようとケータイを耳から離すと『おいおいちょっと待ちなさいチリ君』と慌てたような声が聞こえた。なんだ、まだ話したりないのかこの真っ白多弁お化けは。
『仕事は二件あると言っただろうチリ君。まあ明日、仕事終わりに言ってもいいんだが、なんだかちょっと嫌な予感がしていてね。今話させて欲しい』
「あー。そういやそうだったな。で何? 擬獣退治じゃないんだろ?」
『まあね。君以上の適任がいない役目だ。と言ってそう難しい案件でもない。一言で言うとそう、道案内さ』
道案内? 一言で言われてもまったく意味が分からない。
『それがね、再来週、うちの妹が夏臥美町に遊びに来るんだ。妹と、その連れが一人。どちらもまだ中学生なんだが』
「えっ、お前妹なんていたの?」
『えっ、なんだいその反応。私にだって妹くらいはいるさ。ついでに二人の兄もね。言ってなかったっけ?』
「言ってない言ってない。うわー、考えたくない、お前みたいのがあと三人もいるのかよ。みんな頭真っ白けで食卓囲むと幽霊会議みたいになるんだろ? そんで永遠にくっだらない話を楽しそうにループさせてるんだろ? あり得ないだろその家庭」
『だから、ウチの家系で白髪になるのは女性だけだって。あれ、これも言ってなかったんだっけ? うん? そうだったか』
首を捻っている気配がする。不思議一家のことなんかどうでもいいが、その妹が来るから迎えに行けってことか。確かに、駅からミキの家までは案内なしでは辿り着けなさそうだし、まったく意味不明の依頼という訳でもない。むしろ、今まで普通にやってきた擬獣相手の大乱闘の方がよっぽど変な依頼だったくらいだ。それくらいなら引き受けてやっても、まあ悪くはないだろう。
「いいぜ、妹とその連れの道案内だな。それくらいなら引き受けた。行き先はお前の家でいいんだよな」
『ああ、うん。そう言ってくれると助かるよチリ君。報酬は普段の六割ってところでどうだい』
「え、そんな貰っていいの? 俺はまたてっきり、報酬と言いつつ道中のバス代くらいしかもらえないんじゃないかと」
流石にこれはおかしいだろう。変に高額な分、ちらりと、何か裏があるんじゃないかという気配がする。
『私にとっては重要なお客様――可愛い妹だからね。その代わり丁重に案内してあげておくれよチリ君。ああ、あんまり可愛いからって取って食べたりしないように』
「誰が喰うか。お前の妹だろ? どうせお前みたいに、こっちが油断してたらそれこそ食いついてきそうな油断ならない奴なんだろ」
『人の妹を犬か何かのように言わないで欲しいね。まだ十四歳のいたいけな少女だよ。はっきり言ってねチリ君、私が男だったら襲ってしまいたいほどに可愛い』
「えらくぶっちゃけたな……。シスコンもそこまでいくと度が過ぎてる。姉妹ってのは普通、そんな風に仲良すぎるくらいなもんなんだっけ?」
『一人っ子の君には分かりようがないだろうね。兄弟姉妹の絆というものは、なかなかどうして馬鹿にできないところがあるよ。私からしてみればそう、ひのえはもう私が育てた! と言ってしまいたいくらいなのさ』
私が育てたって。妹が十四ってことは、年齢差二歳くらいだろうが。ほとんど気のせいだよ、それ。
で、妹の名前は三鬼 ひのえ、ね。変わった名前だ。ひらがなで書くのかな?
『で、一緒に来る連れというのがだね――』
「いや、待て。聞きたくない」
即座にストップを入れる。報酬の話を聞いていた時点で、断固としてこのラインは守っておこうと思っていた。
「遊びに来るとか言って、何かしらの厄介事を抱えてそうな気配がプンプンするからな。そんなもんに巻き込まれるのはまっぴらごめんだ」
『しかしね、チリ君――』
「俺の仕事は道案内。それだけだろうが。用件は伝え終わったろう? もういい加減切るぞ」
今度は有無を言わさず通話を終了させ、そのままケータイの電源を落としてしまう。今日はもう寝るだけだし、明日の朝になれば勝手に電源が入る。他に話したい相手もいない俺からすれば、それで充分、携帯電話の役目を果たさせていることになる。俺の知り合いは前例の通り、夜分にも関わらず平然と電話を掛けてくる奴らばかりなので、夜はこうやって時間を決めて電源を落としてやらなくてはならない。
「それにしても、妹ねぇ」
ミキをそのままちっこくしたようなのが来るのだろうか。
……それはやはりちょっと、考えたくなかった。
後
「はあ……? なんだこりゃあ」
廊下に張り出された二枚の紙を眺めて、思わず首を傾げてしまった。
左側は、期末テストの結果が貼り出されたものだ。俺たちの学年の上位五十位までの名前を載せた一覧表だ。それは間違いない。見知った名前もちらほら入って……うん、俺の輝かしい十七位もちゃんと載っている。……ただし、何故か俺の名前だけフルネームではなく『十七位 チリ君』になっているんだが。その辺は断固抗議を行いたいところなんだが。
まあとりあえずは置いといて、次に右側の紙を下から見ていく。こちらも同じく期末テストの上位五十名を載せた一覧のようだが、どうにも名前に見覚えがない。左側のコピーかとも思ったが、名前が全然違う。ウチの学年の一覧表ではないのか? だとしたらどこの、と上の方へ視線を向けていくと……。
『一位 三鬼 弥生 一〇〇〇点』
どどーん、と効果音が鳴りそうな代物が目に入った。なんだこれ。何の夢だ。俺は馬鹿になったのか。
「っていうかアホか。なんで一年の廊下に二年のテスト結果が張り出されてるんだよ。しかも、千ってなんだ? 千ってまさか、全科目オール満点って意味じゃないだろうな?」
「オール満点って意味だよ、チリー」
アズマがぬるりと背後にやってくる。後ろ手に頭を鷲掴みにしてやる。
「ああああ痛い痛い痛い、そんなリンゴを丸ごと握り潰すみたいなノリで人の頭を掴まないで死んじゃう! 出る物が出ちゃう!」
「あっそ。で? 結局これはどういう状況なんだ? 中間テストの時はこんなことはなかったよな?」
テスト結果の周辺は人だかりができていたので、少し離れたところにアズマをリリースしてから、尋問するくらいの姿勢で問いかけた。
「あー、えっとほら、チリも見ただろ? 一位ミキさん。しかも満点。これは全校生徒に宣伝しなくちゃってことで、ああなったらしいよ」
「世も末だな。その判断したの教師側だろ。信じらんねぇ。そして二位以下の連中はどんな公開処刑だ。今頃非難囂々だろうな」
「いや、別にそういうことにはなってないみたい。やっぱミキさんの満点一位っていうのがインパクトでかいみたいでさ」
「ファンクラブのゾンビ共め……」
がっくりと項垂れる。確かに凄いよ。全教科満点なんて、アオのインチキでも使ったんじゃないかと疑うレベルで凄いよ。そこはあとで詰問するとして、何にせよ全問正解ということだ。この学校は進学校というわけでもないし、他校と比べてそこまでレベルの高いテスト問題が出題されるということはない。偏差値で言えばド平均、変な噂を覗けばごくごく普通の高校ということになっているはずだ。だから満点取れてもおかしくない、かと言えばそうでもない。テストの最後の方には、進学校の生徒でも苦戦するような問題が少なくとも一問は出題されていたはず。俺も大体その辺りは落としてしまっていた。そこを問題なくクリアできてしまったというのだから、本気の実力で挑んだのだとすれば、ミキの学力は平均を遙かに越えていた、学力を測るという意味であればテスト問題の方が低レベルすぎたということになる。最悪、次のテストではミキに合わせて問題レベルが上がってしまうのではないか……という危惧を抱く人間は、今のところ俺だけなんだろうなぁ。
なんとなく人だかりの方に視線を向ける。自分たちの結果そっちのけで上級生の――もっと言えばミキのテスト結果にかじりつきになり、わーだのきゃーだの変な歓声をあげたり、ひそひそと好意的な噂話を繰り広げたりしている。ああもう、直視できない。高校生がママゴトに興じているような気恥ずかしさがそこから感じられた。
だって。全部ミキの掌の上なんだから。
「どうしたんだチリ。好きな女子にでも見とれてたか?」
「お前の頭のレベルがとんでもなく低いことに辟易していたところだ」
「馬鹿言え、俺だって学年三位……」
「あーあー聞ーこーえーなーいー」
耳を塞いで教室に退散しようとする。
しようとしたんだが。
「え? おい、ちょっと」
急に誰かに腕を掴まれて、凄い力で引っ張られてしまう。つられてそのまま二人で廊下を走る羽目になる。
相手を見ると、女子だ。女子は夏はセーラー服姿になるから男女くらい後ろ姿からでも簡単に見分けられる。力一杯腕を引けば止められそうだが、ちょっと躊躇われた。それにしても、誰だ? 髪の毛は黒の(ほとんどが黒だ、校則で染髪は禁止されている、ミキは例外中の例外)セミロングで、どこにでもいそうな感じだ。クラスメイトにも何人か該当者がいる。背丈は、女子にしても平均少し下といったくらいの小柄だ。ほっそりとした両脚がスカートから覗いている。
っていうか、そろそろ止まってくれないだろうか。いい加減腕が痛い。
「おい、どこまで行く気だ」
相手は答えない。なんとなく相手が誰かは当たりが付いてきたが、一向に顔は見えない。一心不乱に駆け抜けている感じだ。次の授業もあるのだし、あまり遠くまで連れて行かれても困るのだが……と思っていると、今は誰も使っていない空き教室に駆け込んで、ようやくその女子は止まってくれた。
見ると、その女子は息を切らしていた。膝に手を突いて、もう一方の手を胸元に、ぜえぜえと荒い息を吐いていた。俺の方は、それほどスピードが出ていたわけでもないし、別に息が上がるほどでもない。というか、男女の体力差があってもこうはならないだろう。
「大丈夫か?」
声を掛けると、女子はびくっと肩を揺らし、勢いよく振り返った。
その怯えたような顔には、やはり覚えがあった。
トレードマークは本人から見て左側の前髪一房を纏めたリボン。揉み上げが少し内側にカールしているのも特徴か。眉毛が常時若干の八の字で、見た感じおどおどした、実際おどおどしている、女子の中でも一番大人しい部類に入る奴だ。クラスでも、友達と話をしているよりも席で本を読んでいる姿の方をよく見かける。
入学して同じクラスになってから、特に話したことはない。が、流石に名前くらいは覚えている。そう、
「あの、チリ君……」
特に話したことのない女子にまでチリ君呼ばわりだよ。もうホント嫌。こいつなら或いはと思いもしたが、やっぱり思っただけだったようだ。
「あのっ、……ごめんなさい」
なぜ謝る。なぜ一々『あの』をつけて喋る。視線を右の下に左の下に忙しい奴だな。多弁お化けのミキとよく喋っているせいか、この反応の悪さはちょっと苛々する。勿論、そんなことを指摘しようものなら泣き出しかねないから、流石に控えておいた方がいいだろう。
「で、何の用?」
「あっ、はい、えっと、その……」
はよ喋れ。もうじき予鈴が鳴るぞ。
「ミ、ミキさん凄いよねっ、学年一位で、満点合格なんだってっ」
がくっとこけそうになる。結局ミキの話かよ、と、一体何に合格したんだよ、という二つの意味で。
「ああ、あの、違うの、そうじゃなくてね……」
何が違うのだろうか。いや、俺からすれば何もかもが違うのだが。どうしようこれ、本当に授業間に合わないかも知れない。
と思っていると、綾辻は意を決したように視線をこちらに固定させた。
「あのっ、十七位、おめでとうっ!」
「……は?」
十七位。十七位? それは、俺の順位だ。一学年総勢一五〇人はいるから、その十七位といえばそれなりに自慢できる数字だと思う。ミキなんかに言わせれば『チリ君、病院に行こう』などと病院を勧められるレベルなのだろうが、それでも世間一般的に言えばそれなりに健闘した方だと思う。
でも、それをどうして、この女子がおめでとうなんて言うんだ? 親しい間柄で褒めたり褒められたりはするだろうけど、大して親しくもない俺に、なぜ?
「じゃ、じゃあっ、よい夏休みをっ!」
「あ、おいちょっと」
そう言うと、綾辻は来たときと同じように駆けて去ってしまった。まさに脱兎のごとき素早さである。声を掛ける暇もない。背中を追って廊下に出て見るも、すでに影も形もなかった。
「なんだったんだ? 一体……」
よくは分からないが。こうして、俺の夏休みは幕を開けたのだった。