Doppel Ganger 後編 -7-


「――くそ、くそ、くそが」

 ミキからの通話を切ってから、俺は俯いたまま、顔を上げられないでいた。ふと気付くと、足元に氷のうが転がっていた。何を思うでもなく拾い上げて、膨れた頬に押し付ける。

 分からなかったこと、知らなかったことが、一気に明かされて。その上で、ミキはいつも通りだった。本当に、どこまでもいつも通りだった。それが何よりも苛立たしくて、何よりもやるせなかった。

「大丈夫かい、チリ君」

 運転席の大五郎さんが聞いてくる。車の揺れは感じない。どうやら、赤信号で止まっているようだった。

「すみません、隣で煩くして」

「いいさ。私にも大体聞こえたがね。あんなことを聞かされて、冷静でいろと言う方がどうかしている。……満君のことは、私も流石に信じたくないね。弥生ちゃんの冗談だったとしたら、どれほど良かったか」

 でも、それはあり得ない。そんな冗談を、ミキが口にするとは思えない。大五郎さんだって、それは分かっているのだろう。表情は重苦しく、険しい。

「だがね、チリ君。弥生ちゃんを責めないでやって欲しい。彼女だって、君やひのえちゃんを、傷付けたかった訳ではないんだ」

 努めて穏やかに、諭すように。大五郎さんは言った。

「それこそ冗談だろ」

 必然、俺は反発する。

「何でだよ、大五郎さん。こんなことになってまだ、あいつの肩を持つのかよ。俺がミキに苛つくのはいつものことだし、カミヤのことはどうしようもない事実なのかも知れないけど、でも、ひのえは――ひのえがこんな目に遭う必要は無かった。いいや、蓋を開けてみれば全部、ミキが仕組んだようなものじゃないか!」

 怒りの残滓が、燻っている。

 やめろよ、みっともない。

 誰に当たり散らしたって、何も解決なんかしないのに。

「それは飛躍しすぎだよ」

「違うだろ。車道に子どもが飛び出して、車に轢かれそうになってたら、自分も飛び出して助けるだろ? もしそれで、代わりに自分が轢かれて死ぬかも知れないとしても。それに、万が一にもそういう状況を生まないために、子どもには前もって言い聞かせておくものだろ? そういう行動を、起こせるのに起こさないのは、悪意の有り無しに関わらず、非難されて当然じゃないのか」

 いいや――悪意がないからこそ、許されざるものなのではないか。

 自分の命が惜しいから、というのならまだ分かる。生き物として当然の心理だ。

 それが、何だって? そうすることが最善? 全てを丸く収めるための布石?

 なんだ、それは。何なんだ。神様にでもなったつもりなのか?

 俺たちは、お前の書く脚本で踊る役者じゃない――!

「それは、その子どもの命が失われてしまうかも知れないと危惧するから起こる行動だ。助けなければならないのなら、弥生ちゃんはちゃんと助けるために動く子だよ」

「だったらひのえだって――」

「ひのえちゃんも、それは本望じゃなかったはずだ」

 それは、そうかも知れない。

 ひのえは、ミキに助けられるなんて――アイツの手を煩わせることなんて、望まないのかも知れない。

 でも。

 ひのえは、俺とカミヤを助けた。なぜか? それは、それが仕事だったから。――仕事のために、命を賭けて戦えるか? そうだ、ひのえは命を賭けた。ひのえの意志で。きっと、ひのえの譲れない何かの為に。結果的に、負けたとしても、死にかけたとしても、そうやって必死で戦った姿が、みっともないなんてことがあるはずない。

 夕暮れ時。

 俺たちを守ると言った、ひのえの顔を思い出す。

 義務的に、仕事をこなすひのえとは違う、ひのえの持つ別の顔。

 身も心も幼くありながら、強い自我を感じ取らせた。

 それはとても綺麗で、尊い決意だと思った。

 それを、その価値を、ミキは蔑ろにしたんじゃないか――

「少し、私の話をしようか」

 突然、大五郎さんがそう切り出した。アクセルが踏み込まれ、車はゆっくりと動き出す。

「大学生の頃――まあ、私は医学部にいたんだがね。進学先を決めたのは父だった。自分と同じ道を歩んで欲しいと、そういう願いだったんだろうが。私は、どうにも納得しきれなかった。医学の勉強は大変だったし、面倒だったし。白球を追い掛けている方がずっと楽しかった」

 何年前の話なのだろうか。大五郎さんは昔を懐かしむように目を細めて、だけど、その過去を置き去りにして走っていく。

「大学を卒業して、臨床研修に入っても、気持ちは切り替わらなかった。まあ、最低限はこなせるが熱意のない、要するに落ちこぼれだよ。あの世界特有の縦社会も曲者で、上役とソリもなかなか合わず。正直、転向も考えていた」

 臨床研修、というのは確か、医大を卒業してから始まる制度だった筈だ。大学が六年間、研修が二年から五年くらい。合わない人間がその道を諦めるのに、充分な時間だろう。

「その頃だ、弥生ちゃんが私を訪ねてきたのは。宗家の娘さんがお供も連れず、寮暮らしの私のところへいきなりやってきて。はは、あれは軽くパニックだったなぁ。一体何をやらかしてしまったのかと思って、心当たりがありすぎて、内心大騒ぎだった。しかし思えば、あの頃の弥生ちゃんは今のひのえちゃんと歳も近かったはずだが、性格は全然似ていなかったな。多分、君が知っているままだったよ」

 ひのえと同い年くらいの頃の、ミキ。外見は、流石にもう少し幼かったんだろうが。でもミキは、その頃からずっとあんなだったんだろう。ずっとあんな、超然として、化け物じみて。いつからだ。それは、ずっとそうだったのか。生まれたときからずっと? ああ、有り得るかも知れない。あれが、泣きながら産まれてきたなんて、とてもじゃないが信じられないから。

「ミキは、何をしに?」

「ああ。単に世間話をしにきただけだったよ。でも内容はとんでもなかった。作り話かもとさえ思った。だってそうだろう? 彼女はそんな昔から、双町の・・・東病院が・・・・潰れる・・・ことを・・・ 予言した・・・・んだから・・・・んだから・・・・

「は――?」

 間抜けな声を出してしまった。

 突然、双町の話が出てくるとは思わなかった。

「え、東病院ってあれ、潰れたのいつですか? 見た感じ、廃れてから結構経ったように見えましたけど」

「ああ、それはつい去年の話だよ。元々建物が古いこともあったし、経営はあまり上手くいっていなかったようで整備もままならず。見た目は、もっと昔に放棄されたように感じるかも知れない」

 病院が潰れたのが去年で、ミキがひのえくらいの頃だから、大五郎さんの話は二年か三年くらい前のことで、言うほど昔ということもないが――とにかくミキは、数年後の未来を予言した。

「この双町にある二つの病院、その片方が潰れたときの影響を、彼女は克明に語ってみせたよ。西病院だけでは急病人に耐えられない。満足な治療が行えない。脚を悪くしたために通院に時間が掛かり、その交通費だけで生活が苦しくなるご老人まで出ると。その後十年で、この地域の死亡率は倍に跳ね上がるとまで言ってのけた。今では笑ってしまうくらい荒唐無稽の、嘘のような話だが、しかし、彼女の言葉は不思議だ。本当にそうなるかも知れないと思わせる力があった。その時点で、疑いなく信じたわけではなかったが……何か、心に引っ掛かるものを感じたのは事実だった。私は曲がりなりに医者の卵で、多くの人々の命を助けるべき立場にあって、そういう可能性を見過ごしていいのか、と。そして、ほんの小さな診療所の一つでもあれば、話は違うのに、とも、彼女は言った」

「――――」

 ちょっと待て。

 なんか、話が怪しくなってきた。

「じゃあ大五郎さん、双町に引っ越して診療所を開こうっていうのは」

「うん。弥生ちゃんに勧められた形になるね」

「勧められた!?」

 何をとち狂ったことを言い出すんだこのおっさん。

 勧められたどころの話じゃないだろう。

 ミキは、双町には最近都合の・・・いいことに・・・・・椿谷夫妻が越してきている、これは好機、お前ら全員泊めてもらえ、とか抜かしたんだぞ。全部自分でお膳立て整えたくせに!

「はっはっは。更に面白い話があるぞ。当時、東病院はギリギリのラインで存続していたのに対し、西病院の経営も決して芳しくはなかった。そんな状況だったから、互いに互いをフォローし合い、他所の病院とも連携して、何とか遣り繰りしていたんだ。――ところがあるとき、そのバランスが一気に崩れた。ある資産家が双町の情勢を憂い、『西病院に』多額の援助を行った。西病院はそれを機に持ち直し、それに吸い取られるように、東病院は消えてしまった」

「おい、その資産家って」

「三鬼家だよ」

「あほか!」

 三鬼家っていうかミキだろ! 何が予言だよ! 数年後に双町の東病院が潰れるだよ! 潰したのお前じゃないか!

「は、なに? 大五郎さんは何が言いたいの? ミキの言うことはどんな手段を以てしても何が何でも現実になるから、アイツの言うことは全部信用しろってこと?」

「待て待てチリ君。結論を急ぎすぎだ」

 大五郎さんは慌てたように俺を宥める。

「確かに、全て弥生ちゃんの思惑通りにはなったわけだが。弥生ちゃんの口添えで、私は医学の修得に没頭するようになり、こうして独り立ちすることができた。それまで見えなかった目的地が見えるようになった。それまでの自分を無駄にすることはなくなったし、自分のすべきこと、天職と誇れる道を辿り、この町へ来ることもできた。ついでと言っちゃなんだが、美人の奥さんとも出会えた。正直ね、私は弥生ちゃんに感謝している」

「それは。全部ミキが仕組んだことだ」

「違うよ。私が自分の道を歩んだからだ」

 大五郎さんは、厳とした口調でそう言った。

「潰れた東病院の職員が、その後職に困るということはなかったと聞く。どうやらそこにも、三鬼家の介入があったらしい。危ういのは町の東の患者たちだが、それは私が診ればいい。死亡率が二倍? やらせはしないよ。若輩とは言えこの私が来たからには、全身全霊を込めて足掻く。そのために医療を学んできた。私の半生はそのためにあった。それは、弥生ちゃんに言われたからじゃない。自分で決めたことだからだ」

「それだって、ミキの計画通りだろ。どんな言葉を口にすれば、相手が自分の思い通りに動くかを知っている。自分の目的の為だけに、上から目線で指示を飛ばして。他人の人生を物のように転がして、弄んで。アイツはそうやって、自分の力で頑張る人間を侮辱してるんだ」

「侮辱しているのは君だろう」

 はっとして、大五郎さんを見る。

 厳しい顔をしている。思い悩むとか、そういうんじゃなくて――強い意志が伝わる。

 或いは、俺の知る教師たちよりもずっと。

 なんで――なんで、そこまで。

「いいかい。同じ事柄でも、見る人間、立場が違えば、印象は一八〇度違う。違って当たり前だ。人の生き方や、頑張りや、努力を、どう捉えるかは人それぞれが決めることだ。素晴らしいと褒める者もいれば、無駄だと吐き捨てる者もいる。どちらが正しいなんていうことはない。弥生ちゃんが何を言い、何を信じ、何を企んだところで、君や私が何を信じるかには一切関係がない。君は弥生ちゃんを信じられないようだが――それ自体は勿論罪でも間違いでもないんだが――同時に諦めているようにも見える。『信じる』と『諦める』は、決して同義ではないが、同じ事象を招くことはままある。君は無意識に、そういう状態に陥っているんじゃないかい。あの怪物の言うことだ、どうせまた真実なんだろう、だったら全ての生き方、全ての頑張り、全ての努力に意味なんかないと、君が決めた」

「それは――」

 アオがいるから、だから――

 いや、けどそれは結局、同じ事か?

 俺が、決めたこと。

 俺は、諦めている?

「諦めてしまった君の目には、何もかもが白けて映っているんじゃないか? それを全て、弥生ちゃんの所為にしているんじゃないか? 彼女の影響力は確かに並外れているが、だからと言って結局のところ、自分を決めるのは自分自身だ。そうだろう? 信じるも信じないも。善とするも悪とするも。確固とした自己を持つ者にとって、他者とは認め合うものであり、妬んだり、恨んだり、盲従するものではない。それは君にだって分かっているはずだ。だからこそ、さっき弥生ちゃんにああ言った・・・・・んじゃないのか」

「…………」

「なのに、君の自己は簡単に揺らいでしまう。私には、それがとても不自然に見える。心理学は専門じゃあないが、人を見る目はそこそこ持っていると自負している。なあチリ君――君はどうして、そんなに諦めが早くなってしまったんだい?」

「――ああ」

 俺は。

 俺は、そうか。

 俺は、矛盾している。

 自分は自分だと言いながら、簡単に自分を切り捨てる。

 自分の感情も。

 自分の手の届かないものも。

 諦めてきた。

 一度大切だと抱えたものを、ゴミと断じて捨て去った。――他ならない、俺自身が。

 それは――いつからだ?

 俺は一体幾つ、大切なものを失った?

「病院、見えてきたな。そろそろ着くぞ」

 大五郎さんの言葉を受けて、俺はドアガラスから外を見た。

 そして、捉える。街頭に照らされた街路の隙間、先の見えない影の中へ駆けていく――

「大五郎さん、車停めて!」

「んっ?」

 流石にブレーキを踏むのは躊躇われたのだろう。車は走り続ける。

 俺はドアに顔を貼り付けて、窓の外を流れ去った、その一点だけを凝視する。

「今外に――カミヤがいた」

 暗い路地を一人走る。当然知らない道だ、本来なら帰り道を覚えておかなければならないが、今はそんな余裕さえ持てなかった。

 辛うじて後ろ姿が見えただけだったが、確信していた。あれは、カミヤだったと。

 不思議なもんだ。数ヶ月同じ教室にいたクラスメイト相手でさえ、そんな判別はできなかっただろう。認識の差、か。結局そういうものは、相手にどれだけ興味を持てるかで変わってくるのだろう。好意とか、悪意とか、そういった位置づけ以前の話だ。どうでもいい相手なら、顔を覚えるのだって一苦労だろう。まあ、俺も最悪、相貌失認の疑いがあるから、どの程度が一般的なのかは知らないけれど。それこそミキなら、すれ違っただけの相手の顔さえ全て記憶していてもおかしくないように思うが。

 カミヤに対しては、やはりというべきか、今更ながら、相応の興味を持っていたようだ。多分、ひのえや、大五郎さん、桜さんにも、クラスメイトよりも強い認識を持っていただろう。

 何故か? それは、だって。親や兄弟の姿を、見間違えることなんてないだろうから――

「ああ、そう。そういうものだよな……」

 自嘲するより他にない。自分の女々しさが目に痛い。

 ともかく――垣間見たあの人影が、神谷 満なのか、そのドッペルゲンガーなのかは、分からなかったが。そんなことはどうでも良かった。何にしても今は、なんとかカミヤに追い付いて――

「あれ――」

 追って、見つけて、俺は何をしたいのか。気が付けば、はっきりとはしていなかった。ミキの語ったことが真実なのかを確かめるため? そうかも知れないが、しかし、やっぱり、ミキの言うことに間違いがあるとは思えない。

 じゃあ、本当に、ミキの言う通りだったとするなら。

「俺は、何がしたいんだ――?」

 止まれない。

 もう、止まれない。

 本当のことを知って。

 あの夢は、やっぱりもう、失われてしまったんだと、分かっていても。

「俺に、何ができるって言うんだ、ミキ……」

 教えてくれ(簡単なことさ)。

 誰でもいい、誰か(教えてあげよう)。

 俺は一体、どうしたらいい(君の手で――)。

「――!」

 何かの腐ったような微かな臭いに嫌気が差しながら、薄汚い道を抜けていった。

 そして。

 幾つ目かも分からない角を曲がって、辿り着いた袋小路の奥に、カミヤはいた。

「カミヤ?」

 後ろを向いていたカミヤは、俺の声に気がついて、振り向く。

 カミヤは、驚きに目を見開き、緊張で口を強く閉じ、

「先輩っ!」

 安堵したように頬笑んだ。

「――――」

 その笑顔を見て、目眩のような感覚に陥る。

「良かった、来てくれたんですね、せんぱ――」

 カミヤが、こちらに駆け寄ろうとしてきたのを。

「止まれ」

 俺は声を吐き出して、カミヤを制止する。

 右手には、大鎌。闇に溶ける、漆黒の鈍器。

「それ以上近付くな」

「先輩……?」

 戸惑ったように、カミヤは後退る。

 距離は、十メートル程度になったか。袋小路はこれまでの道に比べれば広く、詰めれば三人は通れそうな幅だった。

 俺は周囲と、特に背後を警戒しながら、カミヤからも視線を外さない。耳を澄ませる。遠くには町の喧騒。近くには、どこからか水の音。広がった意識の中に詰め込まれていく情報一つ一つを検分する。

 カミヤは状況を掴みかねているような様子だったが、すぐに合点がいったように声を上げた。

「せ、先輩。僕です、カミヤです。もう一人の――ドッペルゲンガーじゃ、ありません」

 必死で弁明するように、カミヤは俺に訴え掛ける。

 ――ドッペルゲンガーじゃ、ありません。

 それは、お前。どういう意味で言ってるんだ?

 どういうつもりで、言ってるんだ?

 お前は今、何を考えている?

「お前、なんでこんなところにいるんだ」

 感情を押し殺して、言う。そうしなければ、声が震えてしまいそうだったから。

「ドッペルゲンガーがこの町に来たことを感じて、ひのえさんと一緒に、この近くまで来たんです。でも、ひのえさんとは途中ではぐれてしまって……。何とか合流しようと、ずっとこの辺りを探し回っていたんです」

 そう言うカミヤの表情には、確かに疲労の色が滲んでいた。たった一人で駆け回っていたんだろう。いや、きっと、町の人たちに聞いて周りながら――そう、多くの・・・人に・・・目撃・・・されながら・・・・・ 、彷徨っていたのだろう。

「先輩、ひのえさんは……。ひのえさんのこと、知りませんか?」

「知ってるよ、カミヤ」

 俺は、答える。

 黒い鎌の柄を握り締めながら。

「ひのえは」

 息を飲むカミヤの顔を注視しながら。

「ひのえは、死んだよ」

「――っ!」

 カミヤは、悲鳴を呑み込むように、両手で口を押さえた。ふらついて、一歩退く。

「うそ……」

「本当だ。酷い怪我をして、すぐそこの病院に運び込まれて、――ついさっき、息を引き取った」

「怪我って、先輩それ」

 カミヤが、血の気の抜けた顔で、恐る恐るといったように口を開く。

「僕の、ドッペルゲンガーが、やったんですか?」

 奥歯を噛み締める。

 自分自身が、愚かしくて。

 こんなことになってさえ、俺は、その言葉を信じたがっている。

 戻りたがっている。

 あの夢を、取り戻せたらと思っている。

 それが本当だったらどれほど良かっただろうと、でもそんなことはあり得ないんだと分かって、悔しくて、悔しくて、悔しくて。

 憎らしい。

 俺は、誰を恨めばいい?

 ミキか?

 カミヤか?

 この気持ちを、誰にぶつけたらいい――?

「もう、いいんだ、カミヤ」

 ああ、無理だよ、大五郎さん。俺にとって他人は、いつだって妬み、羨む対象だったんだから。ずっとそうやって生きてきて、今更、それを変えるなんてできるわけがないじゃないか。そう、そうだよ。あんたが、もっと早く、俺と出会っていてくれさえすれば――

「先輩?」

「もう、いい」

 身が千切れそうな思いを退けて、俺はカミヤを突き放す。

「さっき、ミキから電話があった」

「――っ!」

 その名前を告げただけで、カミヤは力の抜けた人形のように硬直し、徐々に視線を落としていった。

「アイツは、全部知ってたよ」

「――ぜん、ぶ」

 愕然とするカミヤの思うところは、俺にも分かる。

 俺とカミヤは、似た感性の持ち主だからと――いう訳ではなかった。

 多分、ミキを嫌える人間のパターンはきっと、限られる。

 俺のような奴か、それか――

「――はは」

 虚ろな目で、カミヤは右手で頭を抑えて、笑った。

 確かに、笑った。

 詰まらない冗談を笑い飛ばすように、ではなく。

 自暴自棄か。

 覚悟の上か。

 それとも開放感に満たされているからか。

 それは、あの昼神姉妹を思い起こさせるような仕草で。

 それでも、泣いているような、影の差した笑顔で。

「やっぱりあの人は、僕を破滅させる人だった」

 俺のような奴か、それか――

 ――何か、人に知られてはいけない、喝破されてはならない隠し事が、ある人間。