Doppel Ganger 後編 -3-


「あっつ……」

 日も大分傾きつつある午後。バスから降りて、駅前に辿り着いて、あまりの人の多さに思わず呟いた。

 このくそ暑い真夏に、本当に暑苦しい連中だ。よく平然とこんなに群れていられるもんだ。俺には一生掛けても理解できないことだろう。

 人の流れに乗りながら、避暑地を求めて、記憶を頼りに噴水まで辿り着く。石造りの噴水は勢いよく水を排出していた。噴水の回りを取り囲むように配置されたベンチを見留め、その一角に座り込む。よく見れば同じく座っているのは年いったご老体ばかりだったので多少気まずい感じもしたが、この際気にしないでいることにした。

 正面が駅の出入り口だ。二階分くらい上る幅の広い階段が見える。見上げれば『夏臥美駅』という看板が視界に入る。ここなら、相手が来ればすぐに分かるはずだろう。まあ、電話番号は貰っているし、行き違いになることはまずないだろうが。

 駅の回りには本当に色んなものがある。視界に入るだけでも、ホテル、不動産会社、ハンバーガーショップ、ケータイショップ、カフェテリア、軽食店、雑居ビル、マンションと多種に渡る。ちょっと裏手に回ればゲームセンターにパチンコ屋や居酒屋、雑多な露店なんかもある。しかしそれらに用事があるかと言えばそんなことはない。普段だって用事なんかないのに、今日に限って気まぐれを起こして、立ち寄ってみようかななんて思うこともない。

 よくよく見てみると、今までに見たことのないテナントも多数あった。何度も来て見慣れた風景の筈が、ちょっとした異物感が視界から消えない。周りの人間がなんてこともないように歩いているのが異様に思うくらいだった。

 どれだけ長く住もうとも、この駅前風景に、この夏臥美町に、郷土愛を覚えることは生涯ないだろう。川が流れるように移り変わる町のありようを、楽しむ意気は俺にはない。歴史を感じさせない新しい町並みは滑稽で、外面ばかり取り繕ったように薄っぺらく映る。この町は俺に何も残さないだろうし、俺もこの町に何かを残すことはできないだろう。

 この国には、こんな町が幾つも量産されている。新しいことを追い掛けて、追い掛け続ける。古い歴史を重んじる文化はあっても、新しい歴史を積み重ねようという気概がない。町を生き物に例えるなら、それが正しい新陳代謝と言えるのかも知れないが、俺のような人間にとっては目まぐるしくて、とてもついていけない。乱立するビル郡。嵐のようなチェーン展開。毎年のように書き換わる地図。本当に、目が回りそうだ。

「はあ……」

 詰まらないことを考えてしまった。単に人を待っているだ。退屈凌ぎにしても、考えることはもっと別にあるだろう。

 妹を案内してやって欲しい。ミキにしては普通な、いや普通にも程がある依頼だった。こんなお使いみたいなことを頼まれるとは思いもしなかった。普段が普段だけに落差百倍だ。

 とは言えミキのことだ、必ず裏があるに決まっている。例えばミキの妹というヤツが途轍もない巨漢(妹)で、一歩歩く毎に町を破壊してしまうとか。それを命懸けで止めながら家まで来い、とか。

 或いは、そう、ミキの妹の連れという某も気になる。ミキにはああ言った手前、興味があるというわけではないが、しかし短くない道中を案内するとなれば、全くの無関係であることはできないだろう。連れ回すだけでも疲れるような相手は存在するのだ。例えばミキとか、マツイさんとか、アズマとか……。

「ふう……」

 考えるだけで疲れてきた。折角の夏休みだというのに、俺は一体何をやっているのだろう。今月分に相当する給料は既に貰っているのだから、欲を出して、ミキの誘いに乗る必要はなかった筈ではないか。労働者には仕事を選ぶ権利があるのだ。与えられた仕事をはいはいこなすだけなんて、健全じゃない。そんなのは俺にだって分かることだ。

 階段を眺めていると、人の波がどっと押し寄せてきた。目的の二人も、そろそろ到着する頃合だろうか。そう思って探してみたが、それらしい人物は見当たらなかった。波が一段落するまで見張っていたが、結局見当たらず仕舞いだった。

 まだみたいだなと、階段から視線を切ろうとしたとき、

「あれあれあれれ、ミーちゃんじゃん。こんなところでたそがれちゃってなーにしてんのー?」

 ギクリと、擬音が鳴りそうな勢いで肩を揺らせた。

 今の声は、まさか……。振り返ると、待っていたのとは違う、少なくとも片方は今あまり会いたくない、二人組なのであった。

「マツイさん……」

「いよっ、おっひさー! 今日もしょぼくれた顔してるねぃおにーちゃん」

「いや、一昨日一緒に晩飯食ったでしょ。一昔前のホラー映画見せられながら」

「そだっけー? ま、細かいことは気にしない気にしなーい」

 ぐふふと、年頃の女性らしからぬ笑い方をする元気印のマツイさん。

 この人はこのくそ暑い中、どうしてこんなにテンション高いんだ。

「で、どしたのこんなとこで。またミキさんのお使い? いやー、尻に敷かれてるねぇ、ダンナサマ」

「誰が旦那か。いや、確かにミキのお使いですけどね。マツイさんにしては珍しく慧眼でしたね」

「へっへーん。鼻ピノキオだよ。いや珍しくは余計だな」

 ぺしん、と頭を叩かれる。マツイさんは立っているので叩きやすい位置に頭があったのだろう。

「そういうマツイさんは宇田さんとどこの心霊スポットへ行くんですか?」

「ふふーん、ざーんねん。今回は心霊スポットじゃなくて、宇宙人縁の地、ちょいと南の方までひとっ飛びしてきたのよな。一泊二日でね。今はその帰りー」

 なるほど、後ろに並んでいる紙袋はその荷物や土産か。またマツイさんのミステリーグッズが彩りを増してしまったというわけか。

「相変わらずのフットワーク……。この暑い中わざわざ南に行くとか、正気の沙汰じゃねぇ」

「シントーメッキャクすれば夏もまた冬! 我らオカルト研究部に退廃とかその辺の文字はないのだ!」

「いっそ腐ってしまえ。宇田さんも大変ですね。よくこんなのに付いていけますね」

「まあまあ。こう見えて結構部員思いなんだよ、部長は」

「うっそぉ」

 マツイさんの隣にいる人物――宇田さんはにっこりと微笑んでいる。ちょっと腹の出たふくよかで大柄な体格をしている宇田さんは見るからに親切そうで、実際親切である。この間、また弁当買ってくれたし。

「そうそう。私ってば部員おもいなの!」

「自分で言って更に信憑性が薄れましたが」

「そんなことないもんねー! これだって今回体調崩して一緒に行けなかった女の子へのお土産だし!」

 そう言ってマツイさんは、見るからに宇宙人っぽい灰色に輝く人型の抱き枕を突き出してきた。

「またグレイ人形ですか……」

「違う! ジャロード!」

「知りませんて」

「ジャロードは米国エリア51に実際に従事しているとされる宇宙人で、アリゾナ州キングマンに墜落したUFOを忠実に再現したとされる――」

「いや宇田さん、誰も解説して欲しいなんて言ってませんから」

 この人もやっぱりオカ研部員なんだなぁ。マツイさんを信奉している時点でそうなんだが。

「つーかお土産のチョイスが既におかしい。国内のお土産なのになんでキングマンがどうこうって話になってんだ」

「知らないのかねミーちゃん。ジャロードは既に全世界に解き放たれたという実話を!」

「実話って言葉を辞書で引いてから使え」

 本当にこの人は、頭使って会話しないよな。そう言えば、いつかのピエロと馬鹿な会話を繰り広げはしたが、マツイさんとならそんな馬鹿な会話も日常茶飯事だった。有り触れすぎてて忘れてた。

「部長部長、そろそろ時間が」

 宇田さんがマツイさんの肩を叩く。宇田さんの胸辺りに位置するマツイさんの肩は叩きやすかったに違いない。

「おっといけねぇ、約束の時間に遅れちまうね! そんじゃまミーちゃん、あんま遅くまで遊んでちゃ駄目だぜってお姉さんとのオヤクソク!」

「はいはい。マツイさんこそ早く帰って、さっさと今月の家賃払ってくださいね大家さんに」

「うぐっ……。ミーちゃんのアホー!」

 最後に釘を刺せたので満足だ。

 手を振って去って行く二人を見届けてから、また駅の方へと向き直る。と、気になる人物が目に映った。

 中学生ぐらいの細い体格の二人組が、片方は黒いキャリーバッグを持ち、片方は青いリュックサックを背負って、階段をゆっくりと降りてくる。人の波に乗れないその様子は明らかにこの付近には慣れていないと分かる足取りで、見るからに目的の人物にそぐう感じだった。

 時間的にもそろそろの筈だ。ケータイを取り出し、電話帳に控えておいた電話番号にかける。数回の呼び出し音ののち、スピーカーから町の喧騒が聞こえてきた。

「三鬼 ひのえだな」

 確認の言葉に次いで耳に届いたのは、細いが耳馴染みのいい声だった。電子音とミックスされたように流れる声は、少女然とした艶やかさを持ちながらも、どこか張り詰めたような、義務的、職業的な堅さを纏ったようなものだった。

「……話は聞いてるな? あんたの姉の依頼で、案内を請け負ってる」

 考えてみれば、高校に上がってから中学生と話をする機会なんてなかったから、一瞬どんな口調で話せばいいか分からなくなった。そのせいで少し無骨なしゃべり方になってしまったが、向こうは大して気にする風でもなく、淡々と事務的な返信をしてきた。

「俺は噴水前のベンチに座ってる。俺からはもうそっちが見えてる。分かるか?」

 分かりやすいようにと立ち上がり、二人の方へ向かっていく。そうしている内に相手と視線が合い、自然な流れで通話は切れる。

 電話をしていた方の相手は、つばの広いベージュ色の帽子に白いシャツ、黒いズボン。腕もシャツと同じくらい白いのか、ここからだと袖の長さが微妙に分からない。近づいてみれば不釣り合いなビジネススタイルで、あんまり似合ってるとは思えなかった。これが――三鬼 ひのえか。性別は当然女だろうが、帽子で髪も顔も隠れた姿はあんまり男女差を感じさせなかった。

 もう一人の方は、涼しげな水色のポロシャツに綺麗なジーンズの男子だった。短いがくるくるとした頭髪は利発そうな印象だ。中学生らしくどこか中性的な顔立ちに、ひのえに負けないくらいほっそりとした体型。筋肉のなさといい色の白い肌といい、俺と同じインドア派の匂いがぷんぷんする。こっちは――そう言えば名前を聞いていなかった。とにかく、ひのえの連れだ。幸いどちらも、見た目は特に常軌を逸していたりしない、普通な感じだ。

「初めまして、弥生の妹のひのえです。これから案内をよろしくお願いします、チリさん」

 頭を下げるひのえの挨拶を聞いて、というかチリさん呼ばわりを聞いて、俺は――ああ、やっぱり来るんじゃなかったと後悔したのだった。

 神谷 満。変なヤツ。

 初対面での印象はそれ以上になかった。

 ただ会話するだけで変に力が入ってて、何をそんなに一生懸命になっているのか、何をそんなに恐れているのか、俺には分からなかった。

 そう、恐れている。

 そんな風に見えた。

 怯えている、という感じでもあったか。

 怖いのを我慢して、必死に笑顔を作っているような、隠しきれないぎこちなさ。

 それがどういう原因で取った行動だったのか。ミキに植え付けられた悪習によって気にはなったが、それが実ることはなかった。ミキじゃないんだし、はっきりとした答えが見付かるわけがない。

 ただ。そう。

 何かを必死で追い求めているのだということは分かった。

 どんな痛い思いをしても、泣きたいくらい惨めでも、追い求める何かがある。

 それはきっと、将来の夢みたいな、確たる願いじゃない。そういう前向きなひたむきさじゃなかった。曖昧で、ぼんやりした、ふわふわした雲みたいなものなんだろう。

 それでも、一生懸命だった。強い思いを抱いていた。真っ直ぐじゃない、ふらふらと危うい軌道を描きながら、不器用にも前に進もうとしていた。

 そんな気が、したんだ。

「で? 話ってのは何なんだよ」

 苛立ちを隠す気にもなれず、ミキに食って掛かった。

 ミキの居城にあろうとも、ついさっき『双町へ行け』などという理不尽極まりない指令を受け、不満は溢れるほどだった。当然だ。幾ら予定が空いているとは言っても、折角の夏休みを、意味不明な旅行に費やされるなんて、普通看過できる問題じゃない。

「まずは今日の報酬だ。重ねて、二人を連れてきてくれてありがとう、チリ君」

 はい、と投げて寄越されたいつのも茶封筒。中身を確認するまでもなくポケットに突っ込む。

「双町へ行くっていう方の報酬は? 交通費くらいは出るんだろうな?」

「それはまあ、君次第かな。帰ってきて受け取りたいという気になったら言ってくれ。ちゃんと渡そう」

 ミキはいつも通り余裕の笑みで、変な言い回しを使った。

「どういう意味だ? 報酬を受け取る権利はある、義務ではない、とかって意味か?」

「まあ、本来報酬は義務だと思うがね。これは非常に人間的な、気持ちの問題ということだよ。君の選び取る未来によっては、この件に報酬は要らないと、君自身が思うかも知れない」

 不吉な言葉だ。仮にさっきの話が取り越し苦労で、一週間何事もなく終わったとしても、俺は平然と報酬を要求するだろう。その場にいることが労働なのだ。そうではない、報酬は要らないと俺自身が判断するような案件。――ろくな想像ができない。

「はあ……。ホント行く気失せてきたんだけど」

「アオにくびり殺されるのは嫌だろう? 大人しく従っておいた方が身のためだと思うがね」

 にっこり殺人予告をしてきやがる。本当に、どうにかならないものかこの力関係。

「ところで、ねえチリ君。カミヤ君と話してみて、どうだったかな?」

 にやついて、まるで小動物のじゃれあいを眺めるような目で、ミキはそう言った。

「なかなか面白い呼ばれ方をしていたよね。先輩、だっけ? 随分と仲良くなれたようじゃないか」

「別に。あっちが妙に馴れ馴れしいだけだろ」

「そんな言い方は可哀想だね。いい後輩ができたと、もっと喜んでもいいんじゃないかな。私は嬉しいよ? 君のような可愛い後輩がいてくれて」

「可愛いとか。素直に喜べる評価じゃないな」

 というか、そんな風に思われていたのか。どこにそんな要素があるというのか。実に心外だ。

 で? とミキは先を促してくる。

「どう、と言われてもな。中学の頃だって先輩なんて呼ばれたことはなかったから、どうだか。部活でもやってれば違ったのかも知れないけど、そういうのもなかったし」

 自分で言って、随分と壁を作ってきたものだと自嘲した。別に、一人でいて寂しいなんて思ったことはないし、でも群れることを嫌悪してきたという訳でもない。ただ、学校が終わって早く帰ろうと思えば、一緒に遊ぶ友達は自然と少なくなったし、数少ない誘いも断ることが多かった。それでも困ることはない。友達が少ない人間は少ない人間で、そこそこの、必要最低限のコミュニティを形成するものだ。

 人間関係において距離感というものは殊更大事にしなくてはならない。なにせ、人それぞれ相応しい距離感というものが違うのに、距離というのは自分と相手で単一に保有するものなのだ。不和なんて生じて当たり前だ。

 先輩後輩の縦の繋がりなんて、それこそ意味のないものだと思っていた。何かを与えてもらえる期待感なんてなかったし、俺から与えられるものだってなかっただろう。損得でいえば結局とんとんなのかも知れないが、だったらいなくてもいいじゃないかと思うのが俺だった。

「でも今回は、できたんだろう?」

 何もかも見通したような顔で、ミキが言った。

 そうだ。できてしまったのだ。

 得るものもあれば、失うものもきっとあるだろう。

「面倒な話だ」

 だから、静かに漏れ出たのは、正直な感想だった。

「そういうものばかりでもないさ。今回の旅は、君にとって掛け替えのない何かを得る一端になるかも知れない。ほら、そう思えば少しくらい、楽しみになってくるだろう?」

「ならねぇよ。早く過ぎ去って欲しいと思うばかりだ」

「頑固だねチリ君。まあいいさ。じゃあ、ひのえの方はどうだった? 私に似て可愛かったろう」

 ミキは自慢げに微笑むと、胸を張るようにそう言った。

「……いや、思ったほどお前には似てなかった気がするけど」

「そうかい? 鼻の形なんてそっくりだったんじゃないかい?」

「知らん。なんつーか、雰囲気が全然違った。向こうがまだ中学生な所為かな。お前と違って子どもっぽい感じだった」

 姉妹だと言われれば、髪の色からして納得はできるんだが、顔の造形はそこまで似ているとは思えなかった。想像していたような怪物でなかっただけマシで、確かに可愛いと言えば可愛いとも言えただろう。中身の方は、もう少し可愛げがあっても良かったとは思うが。

「まあ、ひのえもあと十年、いや五年もすれば立派な大人の女性になるだろう。どうだいチリ君、今のうちに唾を付けておくというのは。かなりお買い得だと思うんだけれど」

「お前の妹という時点でありえないわ」

「そうかい? 私は欲しいなぁ、君みたいな義弟 おとうと

「何の罰ゲームだ」

「ちなみに、アオの予測によるとひのえの五年後のスリーサイズは上から九――」

「お前は自分の妹をどうしたいんだ!」

 酷い姉である。どうしてこんなのが慕われているんだろう。三鬼家の謎がまた一つ増えてしまった。

「ううん。チリ君、女性の好みには五月蠅そうだから、どんな餌を垂らせば釣れるのかがよく分からないよ。年下には興味ないの? いや、だとしたら私になびかないのはおかしい」

「自分で言ってて恥ずかしくないのか」

「……ひょっとしてチリ君、衆道なの?」

「勘違いを絶対にしない奴が嘘でもそういうこと言うな!」

 変な層が群がって来そうじゃないか!

 冗談じゃないぞ!

「まあ、その話は帰ってからゆっくりとしよう。そうそう、さっき話した八剣という家なんだけどね」

「普通に話を戻してんじゃねぇよ」

「八剣が、君を欲しがっている」

「だから……は?」

 なに? と聞き返す。

 八剣って、さっきの話に出てきてた、多分機関とやらのお偉いさんのことだよな?

「直接そういう要請があったわけじゃないんだが。八剣の密偵が夏臥美町近辺をうろうろしていた。無論、既にお帰り願ったがね」

「ん? なんか遠方に出す人手が足りないとかって話じゃなかったっけ?」

「だから、足りない人員を割いてまで君を引き抜きに来たってことなんだよ。どれほど君に需要があるかという証左になる」

 需要があるとか言われても。どうせ、報酬貰う代わりに命懸けの面倒事を引き受けさせられるとかっていう、等価とはとても思えない交換条件だろう。あり得ない。

「ふーん。ご苦労なことだよな」

「ふん。その感想を聞いて安心したよ。君が夏臥美を離れるにあたり、また八剣が何らかのアプローチを行ってくるのではないかと危惧していたが、杞憂に終わりそうだね」

「まあ、変な勧誘にはついて行かないのが基本だしな」

「嬉しいよチリ君。八剣より私を選んだくれるんだね」

「…………」

 前向きな奴だ。きっと悩みとか全然ないんだろう。

「ともあれ。カミヤ君の件については、わざわざ要請してきた以上は八剣が余計な茶々を入れてくる心配はないと思うがね。やはり心配なのは君のことだ、チリ君。例え八剣がどんな甘言を弄してこようとも、君は首を縦に振ってはいけないよ」

「分かってるよ。頭痛の種はお前だけで充分だ」

「え? 頭が痛いほど私が愛しいって?」

「何をどう聞き間違えたんだそれは……」

 というか、単に遊んでるだけか。外で妹たちを待たせているというのに呑気な奴だ。

「さて、双町に行くにあたっての忠告はもう一つあるんだよ」

「まだあるのか……。さっさと終わらせて帰らせてくれ」

 面倒とは言え、ミキの忠告だ。万一聞き逃そうものなら、それだけで万難を引き寄せかねない。こういうときに限って言えば、ミキの言葉は頼もしいものだ。全幅の信頼を寄せるには難があるが、自分で判断することを忘れさえしなければ、ミキの悪意にさえ気をつけていれば、深く記憶しておくべき言葉なのだ。

「これはねチリ君、ある意味で言えば八剣以上に厄介な相手なんだが」

 そう前置くと、ミキは改まって真剣な顔で俺を見て、言う。

「私の、四つ年上の兄には、気をつけろ」