名無しの -3-


 不思議空間をその身に収めた英雄的オンボロアパートに別れを告げて一分ちょい。人気皆無の外れ道を、飛んで撥ねて右折して、夏臥美町南区工業地域に到着した。

 こんな真夜中、別段用事がある訳じゃなし、自宅まで直行するべきだと思うのだが、何故か此処へ寄りたくなる。学校とコンビニとミキの家以外じゃ滅多に外出なんかせず、散歩という行為自体意味が分からないーと言うレベルに至る俺にとって、折角外に出たんだから気晴らしに、とかは絶対に有り得ない。なのになんで? と考えてみてもやっぱり分からず不思議なんだが、理由らしきものが全くない、という訳でもないのである。

 思い起こせば理不尽で不可解で摩訶不思議で。擬獣だの界装具だの、どこのファンタジーですかみたいな連中が闊歩する世界に足を踏み入れて、まともな精神状態で在り続けることは常識的に不可能なのだ。取り巻く環境がちょっと可笑しくなっただけで、俺自身は至極真っ当な人間なのであって、ミキのようなぶっ飛び極悪超人とは違う。……いやまあ、今現在順応しかけている辺り、普通の人間より多少鈍感なのかも知れないが。

 兎も角、俺にだって自壊願望なんてものはないんだから、それなりに防衛策を講じる必要があった。だからこそのこの行動、言い換えるなら救済措置である。仕事後にこうやって独り、ただっ広い空間で、その非日常を眺め、考察し、納得した気になることで頭を落ち着かせる。その為に俺は此処に来る。

 廃工場の中で尤も背の高い建物の屋上――薄汚れた特等席を、ひょいっと飛んで確保して、目の眩むような遠い夜景を望む。


 幸か不幸か、今日は、熱帯夜って程でもなかったから。

 話は三ヶ月くらい前に遡る。今日からボクらも一年生、青春真っ直中の高校生活をのっそりこっそり安穏と過ごしましょう、と密かに意気込む俺は、夏臥美高校――通称夏高の門を潜った。

 夏高というのは何処にでもある普通の公立高校です。と、真っ当な紹介をしたいと俺は思う。でも現実はなかなかにシビアなのであって。四年程前から夏高は、周囲から『全国で五本の指に入る変わり者の集まり』などと呼ばれているという実に笑えない高校だ。今でもネット上の某掲示板ではあること無いこと都市伝説の如く語り継がれていたりする。

 まあ、そんなモノの多くは根も葉もない噂でしかない。実際は本当に割と普通な学校で、一人二人妙なのもいないことはないが――つーかミキのことなんだが――、それでも世間的にはそこまで噂になるようなとびきりの変わり種など存在しない。しかし時既に遅し、一時期の印象が強烈すぎて、もうイメージが定着しちゃっていた訳で。

 そんな経緯で、夏高は普通の高校です、と言っても軽く斬り捨てられるのが現状なのであったりする。フランダース某に負けないくらいの涙モノ物語である。

 高は自宅から徒歩で約十五分。噂と駅四つ分の電車代とを天秤に掛けて、どっちが軽いかなーって考えたら噂の方だったから志望したのに、これってどうなんだろう。人生単位の選択ミスというやつなのだろうか。ミキの仕事のこと知ってりゃ、バイト掛け持ちしてでも他校行くべきだったかも知れない。実に今更な話だが。

 ……いや、夏高にいなかったらミキに会わなくて仕事の話そのものもなかったかも知れないのか。わぉ、それ最高じゃん。やっぱ踏み間違えたわ俺。アハハ。

 そんな噂も何のその。今年我らが夏高に、全生徒を震撼させるビッグイベントが起こった。……いや、そう言われてるだけで、実際はイベントと呼べるかどうかわからないんだが。何があったと言えば、信じられない程美人の、しかも髪の毛真っ白い女生徒が二学年に転校してきた、ってだけのこと。

 いや、興味とか全然ありませんでしたよ? 噂を聞いた人間全て――なんと教師も――が一度は必ずその転校生の教室を覗きに行ったらしいけど、俺は今に至るまで一度だって行ったことはない。

 つーか周りが騒ぎすぎなんだ。高校入学おめでとー、とかそういう雰囲気そっちのけ。妙なクスリでもやっちまったように奇声を上げるモンキーとか、突如『親衛隊を結成するぞ!』とかトチ狂いながら全学年を走り回ってホントに結成しやがった暇人とか、もうどいつもこいつも同じ人間とは思えない白熱ぶりだったもんだから、外から見てた俺は凄まじい勢いで冷めてた。水の融点並に冷え込んでた。そんでもって次の日からは風邪で欠席三日間コース。なんとまぁ最悪なスタートでしょう。

 そんなこんなで、その転校生・ミキと直接会ったのは学校に復帰したその日の夜。

 ……よる、夜だぜ? 全校生徒総出で浮かれまくるくらいの超美人と夜に初めて出会ったとか、何も知らない奴が聞いたら何を思うだろう。だが残念ながら、そう言う連中が思い付きそうな色っぽい話はない。ないったらない。完っ全皆無なのである。詳細は思い出したくもないが、ほら、初めて会った人とその場で、戦慄と恐怖が支配する超全力 鬼ごっこ デスマッチ を開始する出会いって言えば普通じゃないでしょう少なくとも。

 そんなこんなで、ミキの思惑通りの条件を揃えてしまった俺は、そのまま英雄アパートに連行され、仕事の話を持ちかけられた。

 まともな人間ならまず断っただろう。俺だってその筈だった。だが、現在の境遇と、一仕事二十万という素敵に怪しい給金、そしてミキの、断ったら殺すよ宣言。まるで詰み将棋。加えて現実はアオ主催の出来レース。ミキにとって俺程好条件のカモはいなかった訳で、まんまとその話に乗ってしまったのであるよ畜生め。


『まあ、幽霊退治みたいなものだよ。君にもってこいの仕事だと思うがね、ニゲ君』


 仕事の内容説明はその一文くらいだった。『ニゲ君』はどうやら、ミキとアオを見た俺が即座に逃げ出したことから付いたあだ名らしかった。そして早くもミキのイカれ具合を察した俺はエライ。

 それは兎も角。幽霊退治はかなり的確な表現であることが最近分かってきた。

 ミキの言う幽霊とは、あのヘドロ少女のような擬獣のことだ。一般常識としての幽霊とは、死後に肉体から離れ、彷徨う魂の欠片――霊体の事を指しているのだから、死んだ生き物の思念が寄り集まり、かつ人間としての要素を多く含んだ種類の擬獣どもは、互いにイコールで結ぶことが出来る筈だ。

 思えば、伝え聞く幽霊の姿形も、あの擬獣達と似通っている。 霊感 チカラ のある人間にしか見えないってのも共通だし、幽霊がいそうな場所の気配を感じるってのも例の結界によるものだと言える。基本、能力を持たない人間にとっては人畜無害な擬獣だが、その死に方や、最期に何を想って絶命したかによっては、生きている普通の人間に危害を加えるという話も考えられないことはない。世間一般に言う悪霊ってのがこれのことだろう。

 それらの理由から、古来から“幽霊”と呼称されてきた存在は、この“擬獣”なのではないだろうか。勿論それは俺の推察でしかないが、何となく正解な気がする。……それに、そう考えると少しだけホッとする。自分の踏み込んだ非日常という領域が、僅かに日常に近づいたような気がして。

 そうすると、人間以外の要素が強い擬獣――ミキの担当である連中は、所謂“妖怪”と呼ばれるモノなのでは……。

「……いや」

 こっちは俺には関係ないか。無駄に頭から突っ込む必要はない。そんなことを続けていれば、冗談抜きで俺はそのうち崩壊するだろうから。

 では、“俺達”は一体何なのか。この力の源と思われる“界装具”とは何なのか。

 敵対する何か――擬獣のことだが――を打倒する武装、界装具。思い当たるカテゴリと言えば超能力だろう。超能力とは文字通り、人間のノーマルな能力を超えた能力のことを言う。『界装具現界時の君とほぼ同じ――』というミキの台詞が指し示していたように、その時、俺は普通の人間以上の身体能力を得ている。例えば、思い切り跳べば屋根より高い鯉のぼりの心地になったし、塀を叩いてみればガラガラと崩壊した。……あれはマジで焦った。そして走力が通常の倍は軽く出ていることを知った。

 ミキはK−1ヘビー級がどうとか言っていたが、はっきり言ってまともな人間に、一対一でやり合って勝ち目があるとは思えない。つーか、特にアレ――アオに敵う人間とか想像出来ねー。どんな怪物だよ。

 でも、よくよく考えてみると意外にしっくり来なかったりする。だって普通、人間が口にする超能力って言うのは、有り得ない力のことの筈だ。超能力という言葉は最初から、存在し得ないモノを指すように作られている。『存在し得ない』とは即ち、如何なる人間にも達成不可能な領域であるという意味だ。

 だが、俺は界装具という力の存在を知ってしまっているし、何より自分がその持ち主ときた。既に有り得ない 能力 ユメ ではなく、存在し得る 能力 ウツツ であると認識している。だから超能力という言葉のイメージと合致しない。薄いけどしつこい違和感が、目の端に居座って離れない。これはきっと日常においても同じだ。自分は超能力を持っている、などと真顔でカミングアウトする人間がいたとしたら、全方位から白い目で見られること請け合いだ。お前、大丈夫か、と。

 ――異常者。そうだ、俺達は異常者だ。“常”の異なるモノ――枠から外れた者はみんなそう呼ばれる。この 社会 せかい には確か、そう言うルールがあった筈じゃなかったか――。

 意識が浮き上がる。頭の中から外界へ。虫の大合唱が、頭の中への入り口を見つけて侵入し始める。

 ……恐怖をベースに、ミキは保身本能を語った。この思考もまた、その本能に含まれるのだと、俺は主張する。

 見下ろす夏臥美の町並みは無様極まる。

 他所との繋がりが強い場所、駅が存在する中央街は煌びやかに着飾り、眠らない町を装っているのに対し、そこを除いた町の外側は田舎風景そのもので、真夜中に相応しくひっそりと、或いは中心の喧騒に耳を塞ぎながら、一時の眠りについている。この、夜に上から見るとドーナツみたいな形の町は見た感じミステリーサークルっぽくてなんだか宇宙人とか寄ってきそうって言うかもしかしたら予算不足って言うのは真実を隠蔽する為の偽情報で実は設計から宇宙人が携わっていたのかもウンたらカンたらー……、とは何処かの電波さん談。そんなこんなで、別名ドーナツ町。わあ、どこかの島みたいな名前。どーなってるのーこの町はー、みたいな。……ホントにどうなってんだろうなこの町は。

 宇宙人説は論外として、要するに、地域振興でまずは駅周りから派手にしていこうと意気込んだはいいものの、途中で予算が足りなくなって、町中央以外は期日未定の後回しになったという訳だ。古き良き町並みと豊かな緑を必要以上壊さないため――とか何とか言い訳しているが、その見栄っ張り根性がこの哀れな夜景を構築してしまったことは間違いない。夜行性人間の遊び場を作ることで地域振興とか、真面目に考えて出た答えとは思い難い。都心からいい具合に離れていて、近場に大きな娯楽場がなかった為か、それなりには人も集まっているらしいが、正直長続きするとは思えない。嫌な連中の溜まり場に成り下がるのが精々だろう。さほど好きではないとは言え、これでも自分の生まれ育った町。それなりに哀愁なんか感じてみたり。

 今俺のいる場所にしてもそうだ。経営難で打ち捨てられた玩具部品の製造工場とか、異物混入で製造禁止喰らった菓子工場、更には森林伐採して建ててみたけど経費が追っつかなくて放置されてる、何するのかもよく分からない建物なんかもある。そんなのが寄り集まって形成されているのが、この夏臥美町南区工場地域だ。さっさと処分促して有効活用しやがれ町役場。でないと怖いお兄さん達に占領されちゃうぞー。

 都心から直通列車で一時間弱、つい数年前までは田畑の多い田舎町だった夏臥美。や、今もそれなりに田圃とかあるけど、若い働き手がいなくて、畑仕事に精を出しているのは見るからにお迎え近そうなじいさんばあさんばかり。中央の都市開発に従って一部の田園が潰されたのを期に、少しずつ生きてる田圃が減ってきている。いずれは、全ての田圃が死ぬだろう。そして、この工場群のように打ち捨てられたまま、死体を晒したまま――

『……シ』

 視界が反転する。アメーバみたいにドロッとした、半透明の白い群隊が視界を覆う。頭がチリチリと灼ける。首から下が繋がっている自覚が急速に薄れ、白が益々濃度を増し、完全に視界が落ちる――

 その直前、時間が巻き戻ったかのように、全てが元に戻った。鮮明な視界、自由な四肢、その全てが。

 ――って……あ、れ。今の、目眩?

「……メマイィ?」

 目眩。眩み。医学的な知識なんて一生縁のなさそうな俺にとっては、それは何処が異常で、どういう風に起きるとか、全然知らない。けど……。

 俺は工場地帯で最も高い場所にいる。雨ざらしになって薄汚れたコンクリートに腰を下ろし、もう見慣れた、広く浅いすり鉢のような夜景を眺めていた。

 ……目眩ってのは、こんな状況でも起きるモノなのか?

 俺だってまだ十六歳、十二分に若い年齢の筈。身体だって特別弱くもなくて、例えば入院する程の重病にかかった記憶など一切ない。携帯電話の時計によれば今は二十二時半前、眠くて仕方ないって時間でもない。目眩の要素なんてこれっぽっちもない、筈。……それなのに、今のは?

 意識は再び右手に向かう。夜に溶け込む漆黒のフォルム。カタチにそぐわぬ鋭利な鈍器。俺を異常者たらしめる幻想世界の魔道具。ミキに次いで、不可解な現象の元凶と思えるのはコレだろう。


『それは“存在を奪う”能力。一として現界する為の要素の一片を斬り裂き、存在そのものを否定する力。それだけに特化し、その為だけにそこにあるモノ。力の根元は執着と嫉妬。自らになきモノであるが故に求め、奪い続ける、哀れ極まる搾取の刃。言うなれば求名者、いや求銘者か。そうだ、君の界装具の銘は“名無しの――――”』


 そうやって、ミキは 界装具 コレ に名を付けた。擬獣の名前を知ることで、その相手を一太刀で以て斬り捨てる異能。決して得られはしないのに、持たないが故に求め続ける矛盾、それを皮肉る『名無し』という名。

 壊すことは簡単だ。肉体も精神も、ただ一手で容易く崩すことが出来る。俺の力もまた、そんな手段の内の一つなのだろう。

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 ――――――――

 んんーー。

「うん、駄目だ、帰ろう」

 自分も随分とイカれてきていることを実感しつつ呟いた。非日常にどっぷり嵌っている、のはまぁ仕方ないとしても、こんな無意味に小難しいことを考え続けるなんてらしくない。保身っつったって最低限でいいんだ。あーもー、周りの毒電波が強すぎんだよチクショー。


 星の瞬く夜、弦の月が笑う闇。そんな日常の幻想をバックに、俺という異常者は宙を舞う。

 らしくないことだけど、これを最後に、もう一度、思う。――今日は月が綺麗だな、と。

 黒夜に映える白月の微笑み。その朧気な妖艶さは、俺達が盲目的に目を背け続ける真実があるからこそ。人間というちっぽけな観測者の、星と月の誤った格付け。それでもあの月は誇らしげに輝いてみせる。

 人間が自ら、無意識に語り掛ける暗示に、気付くまでは。