フタツギノヒトカタ -連動ショートショート-


*第1話:フタリ

「客って、お客様が来るんですか?」

 愛らしい、ルビーのような瞳をぱちくりとさせながら、ブランセは言った。

「珍しいじゃないですか、お家にまで招くなんて。レン様のお客様ですよね?」

「ああ。まったく、あいつも何の気紛れなんだかな」

 面倒臭い話だ、とノアールは溜め息を吐いた。食卓に頬杖をついている彼女の瞳は、ブランセのそれとは対照的の深い青色で、翳りの見える今でさえ、宝石さながらに美しく輝いていた。

「なにか、おもてなしをした方がいいですよね。お食事か、せめてお土産でも」

 ブランセは、食器洗いのために先程まで身に付けていた灰色の布を持ち上げてみせる。腹部に添えられたポケットに兎の柄が付いたエプロン。サイズはSだが、ブランセにはやや大きめの寸法である。それを見たノアールは、やはり面倒臭そうに眉間に皺を寄せた。

「いいんだよ、そんな気を遣わなくても」

「だって、レン様のお客様なんでしょう?」

「あのなブランセ。客にだってピンキリがあるの。今日のは普通の、至極まともな一般人で金も落とさない。それに聯曰く、客って言うよりは“患者”なんだそうだ」

 患者、という関わりの見えない言葉と、意味を知らないピンキリという言葉の二つに、ブランセは首を傾げた。

「まあ、真っ当な病人なら聯だって病院を勧めるだろうさ。つまりは訳ありなんだろうけど、聯の奴、『会えば分かる』とか柄にもなくはぐらかしやがって」

「会えば分かる……」

 繰り返し、ブランセはそう口にした主の様子を想像する。確かにらしくはない。ブランセの中の“レン様”も、言うべきことは包み隠さない性格なのである。

「……あれ?」

 聯の姿を頭に思い浮かべて、ようやくブランセは、その人物の姿が見えないことに気が付いた。

「ノアちゃん? レン様はどこに行ったんですか?」

 言いながら、ブランセはノアールに対面するように椅子に座った。丁度食事をする時の座席位置だが、ついさっきまで隣の席に座っていた筈の聯は、今や影も形もなかった。

「だから、それが面倒臭いって言うんだ。お前がメシ片付けてる間にさっさと出掛けてったんだよ、あいつは。……ああもう、このままバックレてやろうか」

 ノアールの不機嫌さに、ブランセはやっと合点がいったという風に「ああ」と零した。話の流れからして、その客の応対をノアールは聯に任されたのだ。興味のないものに関わることを嫌う彼女にとって、それは面倒事以外の何ものでもないのだろう。

 それにしても、とブランセは思う。

「出掛けたって、また仕事ですか? 昨日まであんなに忙しそうだったのに」

「そうだよ。やっとのことで区切りがついて、奇跡みたいに出来た休日だったのにさ。なんだか知らないけど、昔創った大掛かりな仕掛けにガタが来たらしい。今すぐ来て直せとか、朝っぱらから電話寄越す連中も大概だけど、迷わず了解出す聯も聯。これじゃホントに寝る間もない」

 悪態をつくノアールだが、それは聯を心配してのことであるとブランセは理解している。聯を想う気持ちは同じなのだと、ブランセは心の端で安堵していた。

「兎に角、それで今日は、私達がお客様の相手をするんですよね」

「お相手ねぇ。テキトーに詫びてさっさと追い返せばいいだろ」

「そんな。もしも重要なお話だったらどうするんですか」

「だったら聯もそっちに合わせるだろ。どんな用事であれ、持ち込んだ当の本人の中でも優先順位は低いんだ。居留守使わないで丁寧に追い出してやるだけ有り難く思えって話だろ」

「……うー」

 顔も知らない来客が気の毒になるブランセだった。思い遣りに欠けた言動は元々ノアールの悪癖であったが、機嫌の悪い今は輪を掛けて酷くなっていた。

「だけど」

 ひょっとしたら怒られるかも知れないという恐れ半分に、ブランセは切り出していた。

「どんな人でも、お客様じゃないですか。ちゃんと接しなきゃ駄目だと思いますよノアちゃん」

「お前は――」

「それに、私、楽しみですよ」

 何か言い掛けたノアールが、ブランセの言葉に口を噤んだ。

「私は、あんまり人とお話をしたことがありませんでしたから。これを機会に、仲のいいお友達が出来るかも知れないって思ったら、とっても楽しみなんです」

「…………」

 しばらく、心持ち険しい表情でブランセを眺めていたノアールだったが、ふいにすっくと立ち上がった。いつも身に付けている黒のリボンバレッタが、金色の髪と共にぱさりと揺れる。

「お前、自分で言ったな、『どんな人でも』って。そうだ、オレ達はまだ、客のことを何も――名前すら知らないんだ。極端な話、そいつが悪人でないって保証もない。聯の客だからって簡単に気を許すなよ。少なくとも、仲良くなりたいなんて早過ぎる」

 特にお前にはな、と最後に呟くように言って、ノアールは部屋を出ていった。階段を上る足音が響く。きっと自室へ戻るのだろう。一人残されたブランセは、少しの間ぼんやりと天井を見つめてから、

「ありがとう、ノアちゃん。でも大丈夫ですよ。だって、ノアちゃんが一緒なんですもの」

 にっこりと、穏やかな笑みを浮かべた。