3 前  その深夜、夏臥美町は異様なほどの冷気に包まれていた。普段の蒸し暑さもなければ、日中の猛暑の名残もない。本格的に降り始めた雨は強く、冷たく、震えるほどの悪寒をもたらしていた。  それは、あるいはミキの誇張、もしくは思い過ごしだったのかも知れない。もはや存在感も薄れつつある秋を目前に、少しずつ冬に向かっていく最中において、あまりに暴力的だったひと夏の記憶が残留しているのか。つまり反動である。ほんの少し涼しくなった程度のことで、極寒の地に放り込まれたかのような錯覚を覚えてしまう。  そんな夜を、ミキは駆ける。  見た目からは想像もできないほど疲弊した青鬼の肩に乗り、泥臭くらしくもなく、地道に町の夜空を駆け巡る。  異変に気が付いたのは、チリ君を見送ったすぐあと。  最初はまっすぐ後を追った。  彼の言葉を信じて自宅を訪ねた。  ようやく掴んだ気配を辿って、駅前のビジネスホテルも確認した。  しかし、全て空振った。  未だ、彼の姿を見つけることはできていない。  破格の界装具『目無しの青鬼(アカズ)』を駆使するミキにとって、それは絶対にありえない状況だった。  アオの能力は、いわゆる千里眼に近いものだ。その潰れた両目で、一定範囲内のあらゆる出来事をつぶさに観察する。  その認識能力は神域に迫る。人間の表情筋の微かな動き、虫の羽音、電子の流れ、風に舞う塵の総量、人から溢れた形なき思念の過密に至るまで、アオに識(み)えないものはない。それによってミキは、あらゆる人の心理を見抜き、あらゆる外敵の存在を暴き、過去と未来の見えざる世界を推理し、そして擬獣の顕現さえも予知してきた。恐らく、アオのこの異能に比肩し得る能力者など、遠見の術を一途に極めた六条をおいて他にいないだろう。  普段のミキからすれば、探し人の捜索など、始めた瞬間に終わるような作業、児戯に等しい。だというのに今このとき、これ以上ないほど見つけやすい人物の居場所を、ミキはまったく掴めずにいたのだ。  三嘉神 朔夜、上蚊野 秋佐屋の二件で、青鬼の消耗は激しい。特に後者は、ろくな準備体制もない状態で、青鬼の持つ奥の手の行使を要した。回復を待つしばらくの間、アオの穴を埋めるため、ミキがなけなしのリソースを費やし、この町を奔走していた事実は誰も知らない。  それがようやく、この町一帯を管理下に置ける程度に回復した。つい今朝方のことだ。アオの能力は現段階において、夏臥美町全域をカバーすることができる。この十年で積み上げてきた確かな実績である。ミキはそこに、一切の疑いを抱いていなかった。  しかしいつまで経っても、アオの可視領域は復元されなかった。完全に掌握していたはずのこの夏臥美町、その八割を超える領域が、まるで霧でも掛かったかのように、認識できなくなってしまっていたのだ。  そこには明らかに、外部からの干渉があった。あまりにも明確な害意である。アオの能力が使えないここしばらく、最も警戒していた事態が現実となってしまった。  しかも、これはもはや確定事項だとミキは考えているが。この敵は、アオの能力をかなり正確に把握している。アオの認識力が揺らいだ僅かな隙を的確に狙い、その能力を巧みに調べ上げ、最大限の妨害を成しえる工作を仕掛けた。ここ数ヶ月程度の話ではない、もっとずっと以前から、準備を進めてこなければ成しえない芸当である。  そして、まさにいま、何らかの行動を起こしているのだろう。  どうやら探し人たるチリ君は、そこに巻き込まれてしまっているらしい。間が悪いにもほどがあるだろうと、ミキは嘆息せざるを得なかった。  ミキの顔色は優れない。精神的にも体力的にも万全とはとても言えない。それでも止まることをせず、軋む脳髄を意識の端に追いやってまで、速く、遠く、青鬼の巨躯を走らせる。  焦ってはいけない。  けれど仕損じてはいけない。    そう、いま。  いま、まさに、この町を訪れた我ら(・・)の、真の目的が果たされるとき。  見えている。  予見した未来を掴み取り、かの力を我が物とし、歓喜して空(・)を背に立つミキの姿が。  十年前の誓いを果たし、遥か過去から受け継がれてきた理想が現実となる、その終幕の光景が。  私(・)には、確かに識(み)えているのだ。  中  糸だ。  巧妙に隠されていてアオにも見えない――いや、アオに見えないように細工された糸である。その糸に『仕掛けられた』痕跡などはなく、そして外界のあらゆる物体に影響を及ぼさない。  つまり、因果が絶たれている。アオに見つからないために。当然、その程度の小細工などは本来、アオの目を誤魔化すには至らないのだが。この糸は、あまりに厳密に、執拗に、徹底的に、何重にも及ぶ干渉によって、その存在感を消失させている。どう考えても過剰なやり口だ。どれほど病的に慎重で心配性な人間でも、これほどのことをやりはしない。アオの能力を熟知し、アオが相手であると認識していなければ、ここまで入念な準備の必要性はまったくない。  糸が、張り巡らされている。  白い糸。目を凝らしたミキは気圧されそうになった。月明かりに照らされた長くか細い糸の束は、まるで巨大な生き物の死骸にさえ見えたのだから。  場所は南工業団地。かの原初の鬼姫を下した戦場に程近い、薄暗く小汚い廃工場の一区画だ。見覚えのある場所だとミキは思ったが、それ以上記憶を探る余裕を、今の彼女は持ち得なかった。  予感がしたのだ。  今までのすべてが水泡に帰すような致命的な出来事が、これからこの場所で起こりかねないという、確信に近い予感があった。その結末だけを拒み、回避しようとあがき続けたこの数ヶ月が否定され、無残にも踏みにじられる恐怖に、ミキは突き動かされていた。  崩れかけたコンクリートの塊を繋ぎとめるかのように。異能によって生じた糸が、縦横無尽に配置されている。人の視界に切り取られてしまえば、それは無造作に乱雑に、無闇やたらに設置された障害物にしか見えなかったが。  アオの視点を持つミキには分かった。それが、おぞましくも美しい、この一帯を覆うほど巨大な蜘蛛の巣を形成している、その事実に。 「――やはり、貴方なのか」  蜘蛛の巣の主。その末端を町中に伸ばし、アオの目を曇らせている元凶。  ミキには心当たりがあった。どうしようもないほど、この状況を作るに相応しい人間が、一人だけ思い当たっていた。だからこそチリ君にも警戒を呼びかけていたし、自身もその動向を探ってはいた。  しかし結局、本人が行動を起こす今の今まで、ミキはその人物の行方を掴むことができなかった。すでに数えきれないほどの障害を事前に潰してきたミキが、何年も手をこまねいているしかなかった。ただ、人々の記憶の欠片に少しだけ、ほんの少しだけ写りこんだその虚像を追いかけ、時間を無為にしてきたに過ぎなかった。 「青柳 晃一郎の母親を殺し、彼が殺人鬼になる切欠を作ったね」  彼が殺した人数と、死体の数が合わなかった。何より、彼が自身の母親を殺す動悸がなかった。 「神谷 満に、学校裏サイトの存在を教えたのも、貴方だね」  元より交友関係のなかった彼に、そういったサイトの存在を、自力で見つけられるわけがないのだ。まして、その惨状が一目見ただけで理解できるほどに、サイトの実態は酷いものだったのだから。それを教えるという行為が、善意によるものとはとても思えなかった。 「松井嬢の在籍する大学で彼女に近づき、この町の様子をうかがっていたね」  夏臥美町を頻繁に出入りする彼女は、実にいい情報源だっただろう。そのことにミキが感づき、彼女に接触する直前に行方をくらました、その引き際は完璧だった。 「一時の間とは言え、上蚊野 秋佐屋がアオの監視を免れていたのも、この糸の恩恵か」  糸。蜘蛛の糸。いいや、ミキはその正体を知っている。正確に言えば連想できる。なにせ一度対峙して、退けた能力である。擬獣ではない。二木の魔道具ともまた違う。肉眼で捉えて初めて分かる、敵意と憎悪に満ち溢れた、この糸の本質は。 「『鬼蜘蛛』。片割れの鬼を失って八年あまり。生存の可能性を見出した時にはにわかに信じ難かったが、こうして対面してしまえば詮無き話というわけだ」  その声を投げかける先に、ゆらりと影が生まれ、人としての輪郭を形取る。  長いとも短いとも言えない黒い髪。長身を分厚いコートで包み、夏だというのに汗一つ流れない白い顔。  それは男だったが、しかしミキと瓜二つの笑みを浮かべていた。面影があるという以上に似通った、その姿、その有り様は、つまり―― 「三鬼 建辰。――久しぶりだね、兄さん」  三鬼家、『元』次期当主。ミキに敗れ失踪した、ミキの実兄。  かの男は再び、己が仇敵の前に立ち塞がった。 後 「まずは、お前の労をねぎらうべきだろうね、弥生」  男声にしては通りの良いテノールで言って、ミキと対峙した男――建辰は微笑んだ。 「三嘉神 朔夜の件かな」 「ああ。本当に、よくぞアレを倒してくれたよ。私は信じていたとも。たとえ一人だろうとも、たとえ相手が十戒だろうとも。お前ならば、必ずや成し遂げてくれるだろうとね」  それは、皮肉でもなんでもない本心なのだろうと、ミキは悟った。だが恐らくは、信頼と言って間違いのないその感情はしかし、親愛に結びつくようなものでもないのだろうと、そんな確信もあった。  それはアオの予測通りだったし、アオの力を頼らずとも、ミキ自身理解できる範囲の心情だった。 「面白いことを言うじゃないか、兄さん。この私が、生きて功績をあげることが、まさか喜ばしいとでも?」  ミキもまた、いつもの調子を崩さない。内心では穏やかではなかったが、それを表に出しては飲まれてしまう予感があった。  実力でいえば、建辰はミキに大きく劣るだろう。ミキが疲弊していることを考慮しても、その力関係は揺るがない。  それでも、ミキは知っている。建辰の持つ激情を、その重さを、その深さを。ミキは誰よりも知っていたから。 「当然だとも、弥生」  朗らかに。好青年然とした顔で、建辰は、 「擬獣ごときに殺される程度の生易しい死など、私は決して許さない」  その憎しみの鱗片を晒した。  さもありなんと、ミキはゆるゆると瞬きをする。  なんとも不思議な気分だと言えた。ミキにとっての遠い祖先や、縁を結んだだけの赤の他人ではない。実の兄、最も身近にあるべき肉親に向けられる拒絶という意志の、なんと悲しいことだろうか。理屈を探しても、それらしい答えはない。両親の不和、兄弟同士の対立、虐待のような親と子の歪な関係。そういった諸問題というものは、人間が深層心理の中で、絶対的に忌避しているのかも知れない。 「私は忘れない、お前のしてきたすべてを。私は知っている。お前のしようとしているすべてを。三鬼家が永き時間をかけ、三嘉神の亡霊を払い除けてきた歴史に従おう。私はお前を否定する。お前の思想を嫌悪する。お前という存在の過ちは、兄であるこの私が決着をつける。つけなければならない」  今更、語り合うまでもない。  産まれたばかりのミキが――正確に言えばアカが、母親を殺したことは事実なのだ。親を殺された子が復讐しにやってきたという、これは単純に、それだけの話なのだ。  納得はいく。理解はできる、同情もできる。だが、胸の奥に突き刺さる虚しさはなんだろうか。当然のことながら、ミキには当時の記憶はないし、アカに問い掛けたところで何の答えも帰ってはこない。だから無かったことにして欲しい、などという願いが、都合のいい言い分でしかないということは明白だが、だからとて兄の求める贖罪に応じるわけにはいかなかった。そんな齟齬、そんな行き違い。ミキには、そうして滲み出すもどかしさに耐えるより他になかった。 「和解の交渉は、あの日とうに決裂していたか。だがそれは、私と貴方との問題だろう。兄さん、彼を巻き込まないでくれ。光曜(おとうと)の名を騙ってまで彼に近づいて、いったい何をしようというんだ」  先に笑顔を陰らせたのは、ミキの方だった。その声は、ほんの僅かにだが余裕を欠き、詰問するような調子になっていた。 「勘違いだ。私は一度も、自分が光曜であるなどと口にした覚えはない。『二つ上の兄だ』と名乗ったのを、年齢の話であると彼が勝手に勘違いしたまでのことだ。彼の警戒が強まろうが弱まろうが、私にとってはどうでもいい話なんだよ」  真実を伝えたかっただけだから。  なるほどそれは効果的である。真実を伝えれば、あらゆる存在がミキの敵になるのだ。ミキとは、ミキの思想とは、生きとし生けるすべての存在に対する反逆なのだ。建辰の目的がミキのみであったとしても、そのミキから戦力を引き剥がすという意味で、建辰のとった行動は合理的だ。  それでも。  だとしても、ミキは。 「貴方と私の――たかが身内の小競り合いで、私が彼を巻き込むと思ったのか。私の身を守らせるために、彼を使うとでも思ったのか」 「思わないがね。だからあのまま放っておいてくれと、そんな身勝手を言うのか、弥生。お前に騙された哀れな彼を、野放しにしておけと」  身勝手だと。  そう断言され、ミキは言葉に詰まらざるを得なかった。 「私は」  あのとき。  降り出した雨に打たれ、泣きそうな顔をして佇んでいた彼の姿を思い出す。  何よりも欲していたものを。ただ一つ、夢に見ていたものを。目の前で、それも自らの手で、破り捨てねばならないという、醜悪と言うより他にない、その運命。  あれが。あんなものが―― 「言っただろう、お前のしようとしていることを知っていると。私が気付いていないとでも思ったのか、弥生。この町を訪れたお前の、本当の目的を」  本当の目的。  十戒の討伐ではなく、別の目的。その存在はミキ自身、誰にも話したことのない事実だった。どこからも、誰からも、漏れようのない真実を暴いたその手管は、まるでアオを相手取っているかのようだった。 「ブラフだとでも疑うか? 弥生」  建辰は、地面から伸びる一本の糸を掴み取った。  他の糸との違いは見受けられない。すべて妨害(ジャミング)用の設置物なのだとミキは捉えていた。だがそもそもに、鬼蜘蛛の能力はそういったものではなかった。粘着性で伸縮自在の糸は、その特性を利用して攻撃に転じる補助系の武器だったはず。  界装具の性質変化――それは前例のない話ではないが、しかし極めて稀な事象である。能力者の精神、人格、価値観、感性、目的、心のありよう。そういったものが著しく変化した場合にのみ、界装具の性質や姿かたちが一変する。生半可な変化ではない。界装具が変容するほどの心の変化など、もはや別人になったも同然だ。  だからつまり、今目の前にいる男は。ミキの知る兄、建辰ではない。  その手にした糸が、いったい何の役割を持つのか。その予測に、アオの力は借りられない。 「因果を辿る。お前の鬼に対抗するには、同質の力がどうしても必要だった。それも同格ではいけない。さらに上をいく能力でなければ、お前を倒すことは叶わない」  糸が引き上げられる。音もなく、地面からゆっくりと抜けていく。その動きには重さが感じられた。  糸の先に、何かが繋がっている。そう予見したミキの目に、信じられないものが飛び込んできた。  手が。  糸に絡まった人間の手が、腕が、地面を透過するように浮き上がってきた。  地面に埋められていた――のではない。もっと別のどこかへと、その糸は通じているようだった。 「分かるだろう、弥生。これがお前の、罪の形だ」  糸が一気に引き抜かれ、腕の持ち主が五体満足で飛び出した。その人物は脇目も降らずに跳躍し、どこかへと去って行ってしまった。  その手に、黒い刀(・・・)を携えて。 「今のは――」  この場所。  その人物。  ミキはようやく思い出し、そしてすぐさま駆け出そうとしたが、当然のように建辰によって阻まれた。  ミキはアオに命じて臨戦態勢をとる。一方の建辰にその様子はなく、ただ逃走した人物の行く先を見つめていた。 「無意味だ。お前では、あちら側(・・・・)に足を踏み入れた今の彼には追いつけない。事の成り行きを、ただそこで静観しているといい」  建辰を下し。追いかけたところで既に遅い。それは間違いなかっただろうが、それでもミキは追いかけたかった。無駄なことはしないと公言するミキが、それでも走りたくて仕方なかった。 「なぜ今になって、彼が現れる」 「予め糸を絡ませておいた。どこへ連れていかれようと、戻してやれるようにね。お前がこの町へ来る以前、私と彼は会っているんだよ。この町の、魚のいない川のほとりに、釣り人がいたという噂を聞かなかったか?」  寝耳に水だ。そんな情報、そんな記録は、この町のどこにも存在しなかった。盲点だ。この町の中であれば、アオの目によって見逃す真実などありはしないという、その過信が仇となった。 「彼はどこへ向かった」 「決まっているだろう。まさか弥生、お前ともあろうものが、それさえ分からないなどとは言わないだろう。無知を装うのはやめなさい。そんなもの、この私には通じない」  答えは、ミキには確かに、分かっていた。  彼は、役を下ろされた役者だったから。  だが、ミキは問わずにはいられなかった。  なぜと。なぜ今なんだと。  訴えずにはいられなかった。 「彼は間もなくチリ君を(・・・・)殺し(・・)、そしてお前のいるこの場所へと戻るだろう。そうとも、お前に殺される(・・・・)ために(・・・)。彼はそうやって、お前に殺されたいんだよ。お前が大事に育ててきた人間を壊し、それをもって怒りを買い、今度こそお前の手によって死にたいという――それが、今の彼の全てなんだ」  歓喜。愉悦。その笑顔は捻じ狂っていた。正気などとうに失っている。ミキの知る、幼くも聡明で理知的な建辰は見る影もない。  そしてその外見にも変化が生じる。建辰の頭髪から色が失われたうえ、地を這う蛇蝎のように伸びていく。目は血走り、鋭利な牙を剥き、明確な異形――鬼の姿に変貌していく。  その意、その理、まさしく食人鬼の概念、外法の極点。その真実にミキは閉口し、際限なく悔恨を募らせた。鬼を失い、もう一方の鬼に食われるのを避けるため、自らを鬼へと変えた建辰の執念は、もはや未来(さき)を見ていなかった。彼は既に人にあらず、殺意と害意をまき散らすだけの、正真正銘の悪鬼と化している。 「――兄さん」  俯いたミキの足元から、黒い領域が広がっていく。  廃墟の瓦礫が。濡れた荒地が。降り注ぐ幾千の雨粒さえ。ミキを――否、クロを中心とした空間の全てが、真黒に塗り潰されていく。  この場所はすでに掌握している。黒鬼の能力を使うのに、時間稼ぎは必要ない。もしもこの能力に対抗する力を、相手が持っていたとしても構わない。いや、そうだとすればなおのこと、この能力は起動させなければならない。  これは宣誓である。この敵に関して三度目はない。今ここで、必ず討ち取るというミキの意志――それは即ち、ミキの抱いた恐怖の発露に他ならない。あまりに空しく空回る、彼女が最期まで背負うことを課せられた矛盾が、彼女自身を打ちのめす。 「ああ、さっき私は、随分とおかしなことを言ったものだ。ああ、弥生、ああ、我が自慢の妹よ! 三鬼家の歴史? 兄としての決着? そんなものはその実まったくどうでもいい! 正味この命にすら執着はないんだ。私という人間はもう、どこで無様に死に絶えようと構わない。一切合切どうでもいい。私は、私という亡霊はただ、お前の計画を一つでもぶっ壊して、何もかも思い通りにしてしまえるという小綺麗なツラに糞便を塗りたくり、その自信を穢してやれさえすればそれで! それだけで! 私は満足できるんだよ!」  この戦いに勝者はいない。  敗走者たちがジレンマに囚われ、触れ合う人間すべてを傷つけるという、ただそれだけの悲惨劇。  だから、ミキは。  血を流すほどに唇を噛み締め、叫びたくなる気持ちを押し殺した。