第六章「戯曲礼賛・喜劇王」 5 前  遠目から見て、妙に人が多いと思った。それだけで不吉というか、嫌な想像をしてしまうのがマツイさんの素行なので、もう帰りたい気持ちでいっぱいになっていたけれど。近付いてみてすぐ、どうやら杞憂らしいことが分かった。まあ、流石のマツイさんももう花の大学生、こんな人目につく場所で奇行に走ることなどしないのだろう。 「あれ、なんだろう」 「ああ、なんか人集まってるな」  遊園地の音がするよと、怪訝そうに首を傾げる綾辻と共に、その人だかりを覗き込む。  その先に見えたラジカセが、聞いたことのない音を流している。  地面に置かれた古臭い機械から、不可解なほど陽気な音楽が、滲むように漏れ出していた。  場所は駅前広場の一角、噴水手前のスペースだった。ここはよく、地方の特売フェアだとかいう小さな露店が並んだり、見たこともないバンドマンがどこかで聞いたような歌をギター片手に歌っていたりもする。だからこれといって、特定の何かをするべき場所という印象はない。流動する、見慣れることのない町並みの、見慣れることのないデッドスペース。何をやっているかなんて、こまめに公報日程でもチェックしていなければ分からない場所。人によっては玉手箱のようで、俺にとっては突拍子も統一感もない異物(こえ)溜め。一瞥して、そのまま通り過ぎるだけ、記憶の片隅にさえ残らない、無駄そのもののようなところ。  ポンと、高く何かが跳んだ。目で追うと、それは赤いボールのようだった。  落下地点は地面ではなく、何者かの手の中だった。五本の指は白い手袋に包まれ、爪先は赤く塗りたくられている。カラフルな衣装に身を包んだそれは、同じくカラフルなボールをお手玉に見立て、トスジャグリングを繰り返していた。ふらふらとバランスの悪い身体は、見てみれば一輪車に乗って、前へ後ろへと不規則に揺れ動いていた。  そして――その顔に、ぎょっとする。 「ピエロだ、すごいね」  感心したような吐息と共に、綾辻がその言葉を口にする。  ピエロ。  道化師。  とんがり帽子を被ったそれは、顔を白化粧で覆い、涙を流す表情を自身に強いていた。  この晴天下、真っ昼間の太陽に照らされた今は、不気味さも何も感じないが。それは、例えば夜の公園なんかで出くわしたなら、三日三晩夢見が悪くなりそうな、異形の人物だった。  カラーコンタクトだろうか。ピエロの赤い、真っ赤な瞳が。  その視線が、俺と合った。 「行こう、綾辻。ここに用はない」 「あ、はいっ、ごめんね」  魅入り掛けていた綾辻に声を掛け、そのまま通り過ぎようとする。  あれは、ただの(・・・)ピエロ(・・・)だ。  それでも、すぐにでもこの場を離れたかった。  なぜか?  なぜって、それは――そう。  ピエロを取り巻くのは、多くは無邪気そうな子どもと、その家族らしき大人ばかりだ。子ども向けの興行――と言っても、観客から金を取る類のものでもないらしい。物好きな芸人と物好きな、或いは物を知らない子どもの好む趣向だ。高校生にもなって、そんな大道芸の観覧に時間を割くような感性は、いくらなんでも失っている。  だから、離れたいのだ。いい年してあんなものに目を奪われるなんて、気恥ずかしいにもほどがあったから。  だから――  待ち合わせの場所である駅の構内に向けて足を向けつつ、最後にと、無駄に明るい音楽にも負けず歓声を上げる客の方へ視線を向け、 「すげーすげーひゃっはー! リズムに乗るぜぇ! おっとそこのボーヤ、それ以上近付くと危ないぞ。あとでピエロさんに犬とか猫とかその辺っぽくネジネジされた風船じみたカラフルドリームが欲しい人は、いい子いい子でお行儀良く最高にクゥゥゥゥルなパフォウマンスを見てておいください! じゃ次はお手玉十個行ってみよーか! サービスサービスぅ!」  小学生以下の子どもに交じって、観客の最前列で一心不乱に手を振る大学生、マツイさんを発見した。  してしまった。  うそだろ。  なにやってんだ、あの十九歳。 「えっと、どうかしたの? チリ君」  どうしたもこうしたもない。異常事態だ。  俺にはあの変人に声を掛ける勇気がない。  もういやだ。切実に、切実に帰りたい。 中 「いやぁメンゴメンゴ! つい熱狂してしまったぜってお待たせしましていたのだぜ! おひさミーちゃんよく来たミーちゃん、まずは双町土産のふまごまんじゅうとかを恭しく献上するといい!」 「ねぇですよそんなもん」  ええー!? などとマツイさんに叫ばれても、ねぇものはねぇのである。隣町の土産物なんか、夏臥美のそこらへんにも売ってるだろうに、なぜそんな物を欲しがるのか。まったく意味がわからない。というか叫ぶなうるさい。電車の走行音や百人単位という利用客の喧騒も普通に響く駅の改札前で、なんでそれを上回る騒音が耳に入ってくるんだ。 「だめだね、じつにだめだねミーちゃんは。旅行へ行ったのなら、日頃からお世話になっている人にお土産を買ってくる! これ常識よ?」  非常識の塊が常識を語るな。  ねえ、と話を振られた綾辻は、変に硬い笑顔のまま、曖昧に頷いた。 「はいはい、じゃあまた機会があったら買ってきますんで。今回は我慢しといてくださいよ」 「ふーん。その言葉忘れるなかれ! ちなみにそのふたごまんじゅう、名前通り二個入りのそいつらは別名おっぱいまんじゅうと呼ばれていてね」 「次の機会があったとしてもそんなもんは絶対買わねぇ」  酷い風評被害を垣間見た気がした。 「ま、取り敢えずお疲れさん。ずいぶん騒がしかったらしいじゃねーですか、双町もサ」 「…………」  双子タワーブリッジの倒壊、そして殺傷事件。前者はどうやら、めでたくマツイさんのお眼鏡に叶ったらしく、近々その惨状を見に行く予定なのだそうだ。事前の電話で、マツイさんは俺にもあれこれ聞いてきたのだが、公式見解をそのまま伝えるだけに留めておいた。面倒なことになるのが目に見えていたから。 「別に。夏臥美(こっち)の方も、酷い雨だったらしいじゃないですか」 「そーそーそーなんだよぅ。ぜーんぜんお家から出らんなくって退屈だったの。三日でアールピージー一本クリアしちゃってサ、それ軽く相当すごいんじゃねー?」  伸びをしながら、マツイさんは溜め息混じりに答えた。 「ともかく、お天気ね。これがちょいときな臭くって。なんか、キキのコショー? だかなんだかで、お天気観測とかお役所とかの把握が遅れたとかで、こっちも変な感じだったんだけどサ。まあ、そういうこともあるよね、にんげんだもの」  と、マツイさんはさほど興味もなさそうに続けた。 「え、そうだったんですか?」  それまで大人しかった綾辻が、か細く意外そうな声を上げた。  なんだ、その蛮行を目の当たりにして、まだマツイさんと会話する気力が残ってたのか、綾辻。見かけによらず図太いな。 「そうそう。ほら、あんだけ土砂降りだったのに、ゼンゼン報道とかなかったじゃん? こいつはミステリのにほいがするぜ! ってことでお国に凸ったんだけど」 「凸んな」 「なんかもう慣れっこな感じで事務的に、うんちゃらとかいう専門機器が、なんちゃら現象によって不具合をどーたらしてごにゃごにゃー、とかめちゃごちゃ言われて、ワケわかめになっちゃったのよね」  ふぅん、とカラ返事をしておく。そういう辻褄合わせも、フタツギだか何だかの仕業という話なのだろう。或いは、マツイさんのことだから、ミキから直接言い含められている可能性もある。機関関連のことを、無関係のマツイさんに嗅ぎ回られるのは、ミキとしても歓迎してはいないはずだ。 「んんー、あれ。ていうか、あれれのれ?」  マツイさんが、そこでようやく綾辻の存在に気づいたようだった。角度を変えて綾辻の顔を眺めたり、覗き込んだりしている。まあ、綾辻に面識はないようだったので、また妙ちくりんなマツイさん流の挨拶を見る羽目になるのだろう――と、思いきや。 「なんでキミがここにいるん? 今日バイトおやすみ?」  何やら、想像してたのと違う反応を示してきた。 「あ、はい、お休みです」 「そかそか。ま、夏休みなんだし遊びにも行かなくちゃねぃ。なに、ミーちゃんとお友達なん? いやいやもっと面白げのあるオトコ選ぼうぜー」 「いえ、そんな……」  なんか普通に会話が始まっている。やめろ、俺を挟んだ状態で俺に分からない話を進めるな。 「は、なに、知り合い?」 「そりゃあネ。この子、カフェ・アケミネーションのウェイトレスちゃんじゃん?」 「あけみねーしょん?」  また唐突にナゾい単語が飛び出してきた。マツイさんが口にすると、どんな言葉からであっても、モザイクの掛かった未確認物体しか連想できない。 「えーそんなことも知らねぇのー? 制服がチョーかわいくて、店長のアケミちゃんが超面白いっていう、この辺じゃ割かし有名なお店じゃん。ミーちゃんってばこの世界線何週遅れしてるのん?」 「むしろ何周してるつもりなんだよアンタ」  ああ、多分駅前近くにあるっていう喫茶店のことだ。うちのクラスメイトもよく使っているらしい、あの。名前は記憶してなかったが、そんな名前だったのか。店長の名前がついてるあたりチェーン店じゃないんだよな。 「でも、まあ」  綾辻の方を一瞥すると、俯き気味の顔を赤くしている姿が目に写った。  綾辻にはあまり、バイトをしているイメージはなかった。まあ常連のクラスメイトは知っているんだろうが、耳に届くほどの話題になったことはない。しかも接客業とか、こんな控えめな性格でこなせるものなのか。 「その話はいいだろ。とにかく来たんだから、さっさと用事を済ませてくれ。今日は何をすればいいんだ? 俺やることあるから、早めに帰りたいんだけど」 「えー。どうせインターネーッツとかそんなんばっかでしょ? なんかやらしーサイトとかハシゴするだけなんでしょ?」 「違ぇよ」 「え、チリ君……」 「ちげぇよ!」  綾辻が、何か信じられないものを見るような目になってるだろうが。やめろ、そういう話をクラスメイトに聞かせるのをやめろ。俺が夏休み明けに登校できるかどうかが掛かってるんだぞ。  その後たっぷり一時間ほど、マツイさんとの雑談を繰り広げ、俺のヒットポイントは半分になってしまった。このクソ暑い中でも、やっぱりマツイさんは相変わらずである。そのうち綾辻も疲れて帰るのではないかと思っていたが。まあ俺がいる以上、サンドバッグになるのは俺だけなので、そんなことにはならなかった。むしろマツイさんとは普通に打ち解けている辺り、さすが同性ということなのかも知れなかった。 「お見舞いにね、一緒に行って欲しかったのさ」  そして有無を言わさず、謎の食料と日常品買い出しに付き合わされたあと。マツイさんはやっとのことで、今回の呼び出し理由を語り始めた。 「お見舞いって、誰のです」  自然と、今もあの黒い部屋の奥で寝込んでいる、ミキの顔が思い浮かんだ。あいつはどうやら、まだ快復していないらしい。 「あんね、アバシヤ酒屋さん近くに学生マンションあんじゃん? そこに住んでる、オカ研のゆかちゃん先輩って人」 「ゆかちゃん?」  知らない名前だ。というか、俺は宇田さん以外のオカ研メンバーをほとんど知らない。学生マンションというのもピンと来ない。一昔前なら珍しがって記憶に残せもしただろうが、最近はその手の集合住宅が知らないうちに増えていたりするのだ。俺には実家がある以上利用することもありえないし、いちいち覚えることもない。  綾辻も同じような理解だと分かった。町の外側の話であれば、昔からある建物ばかりだから分かったかもしれないが、やはり駅周りのことはどうも把握しきれない。 「仲島(なかじま) 友加里(ゆかり)ちゃんって、二年生の人よ。夏風邪をこじらせた? とかで、あーホラ、ミーちゃんが双町行く前から、ちょっと良くなかったんだけど」 「ああ……」  それは、覚えがある。ひのえとカミヤを出迎えるとき、確かにそんな話を聞いた。 「いや待て、ってことは半月くらいか? ずっとそれで寝てるのか」 「それは、長いですよね。私も、ときどきそういうことありますけど、二週間越えるようのは、本当にツラいです」  綾辻が、実体験を思い出すような苦い表情で相槌を打った。  風邪の症状は病気を治すためのものだが、それらは体力や気力を遠慮なく削ってくれる。この時勢、きちんと医者に掛かっていれば、深刻な病気を誘発することも少ないだろうが。それだけに、むず痒いような苦しみだけが継続してしまう。それはそれでダメージは大きいだろう。症状を抑えるには充分な栄養が不可欠だが、食欲がなくなるとそれさえも難しい。できれば点滴でもしながら、病院のベッドで寝かせて欲しいものなのだが。単なる風邪でそこまでやってくれる病院は、俺の知る限り皆無である。 「んー、それこそ、前のお見舞いのときはヒドかったけどねぃ。んでま、今はずいぶん良くなって、食欲も出てきたっていうからさ、私が腕を振るってやろうかってことになったわけですよ」 「え」  何かいま、恐ろしい台詞を聞かなかっただろうか。 「マツイさん、料理できたんですか? コンビニ弁当とドーナツしか食べないくせに」 「ハハッ。お料理のご本も買ってきたからダイジョーブ!」  と、マツイさんは自分の鞄から『地球人なら誰でも分かる! 初心者の初心者による初心者のための料理本!』という雑誌を取り出した。できる女アピールなのか、長髪をファサァっと掻き上げるような仕草をしていた。マツイさんはバリバリのショートヘアだけど。もう何もかもが胡散臭い。 「いいですけど。え、俺呼ばれたのって、その手伝いのため? 料理の腕じゃ俺も似たり寄ったりなんですけど」 「あ、いーいー。そんなん期待してないもん。ミーちゃんを呼んだのは、アレよ、もっと別の理由」  じゃあなんすか、といぶかしむ俺と、ついでにその後ろで困惑していた綾辻に向けて、マツイさんは人差し指を立てた。 「きみ自身が、お見舞い品になることだ」 後 「きゃー! これがチリ君? じゃなくてええとミーちゃんくんだっけ? やだもうかーわーいーいー! ハグしていーい? スリスリしていーい? ひゃあもう我慢できねぇ! いますぐ押し倒――ゲッゴホォ!」  その女子大生は、なにやらテンションをぶち上げて寝台から飛び上がったのち、吐くんじゃないかってほど咳き込んで床に崩れ落ちた。 「おおお、ゆかちゃん先輩どーどー。でもだいぶ元気になったねー、ぶっちょーは嬉しいぞー」  などと、マツイさんは肩を貸しつつ、ゆかちゃん先輩とやらをベッドへと戻した。  ああ、だめだ。この人もギャグ担だ。 「まだ咳でるねぇ。鼻ぐじゅぐじゅは止まった?」 「んぅ、びみょぅ。でもマシになった気がするよ。ごめんねぇ、ちょくちょく来てもらっちゃって。あ、お買い物もありがとー」  薄手のパジャマ姿のゆかちゃん先輩は、寝癖だらけの長い髪に手櫛を通しながら、見舞い客の顔を見渡した。 「あー、ホントにアケミちゃんトコのウェイトレスちゃんだぁ。ハナちゃんだっけ。ええと、その、なに? ミーちゃんくんと付き合ってるの?」 「いえいえいえいえいえいえそんな違います!」  買い物袋の中身を冷蔵庫に移していた綾辻が、とびきり早口に否定して答えた。  俺も手持ち無沙汰だったので、その収納作業を手伝うことにする。 「ゆかちゃん先輩、食欲あるかや? ハナちゃんがオカユ作ったろかってサ」 「えっ、ホント? うれしー! 食べたいよぅ、おなかすいてたのよぅ」  ゆかちゃん先輩は祈るように手を合わせ、泣きそうな顔を作って空腹を訴えた。なんというか、まあ。もう明日にでも復活するんじゃないか、この人。 「綾辻、料理できるんだな」 「あっ、その、うん。ちょっとだけ、だけど」  綾辻もマツイさんの料理には不安を覚えたのか、自分から調理役を買って出たのだ。イメージ先行の話ではあるが、マツイさんに任せるよりは遥かに安定感があるように思えた。聞いてみると、家では両親と暮らしているのだが、自分でも料理はよくやっているらしい。ピザが食べたければ自分で焼けばいいじゃない、というちょっと信じがたい価値観を持った家庭なんだとか。いや、ホント、なんだそれ……。 「じゃあその、お台所、お借りしますね」 「はーいおなしゃーす」  ゆかちゃん先輩の許可も下り、料理が開始される。すると、集中した綾辻は更に口数が減ってしまった。  俺も何か手伝えないかと思ったが、卵を割るのさえ低確率ながら失敗する腕前では、邪魔にしかならない気がした。あとで配膳くらいは手伝おう。  マツイさんはゆかちゃん先輩と趣味の話に没頭し始めている。珪素生物の存在証明がうんたらという謎の雑談が左耳から右耳に流れていった。仕方がないので、周りを少し見回す。  あまりジロジロ見るのは悪いと思いつつ、キッチンと繋がった部屋の中を一瞥して、やっぱりあるオカルトグッズに若干辟易する。オールマイティなマツイさんの自室と比べると、ゆかちゃん先輩は宇宙人関連に傾倒しているようだった。よれよれのグレイ抱き枕が布団の中から顔を出している。やめろ、こっち見んな。 「ミーちゃんくんはさぁ」  ゆかちゃん先輩に話しかけられ、そっちに視線を向ける。ニヤニヤした表情は、なるほどマツイさんと同類の臭いがする。飾り気のない顔は当然すっぴんで、パーツそれぞれが全体に比べて小さめに見える。頬や鼻の頭も若干荒れ気味で、風邪のせいか分からないが赤みがある。 「宇宙とか興味ないの?」 「ないです」  即答すると、やっぱそっかーと、ゆかちゃん先輩は残念そうに首を振った。 「ゆかちゃん先輩は宇宙飛行士の奥さんになりたいんだよネ」 「ねー。ほら、憧れるじゃない。旦那様はどちらに? って聞かれたら、あっちです、って言って空を指差すの! きゃーっステキ! ロマンティー!」  それは高確率で別の想像を相手にさせるぞ。多分それ込みで憧れてるんだろう。流石オカ研メンバー、部長に劣らず迷惑な存在である。  加えて、これはここへ来る道中でマツイさんから聞いた話だが、ゆかちゃん先輩はどうも年下の男が好きらしい。中学校の頃は小学生、高校からは中学生と交際していたのだそうだ。そこで悪寒が走った俺は、どうも完全に手遅れだった。  そもそも今回体調を崩したのも、その高校時代から付き合っていた男子中学生が、高校進学と共に遠方へ引っ越してしまったのが発端だという。しばらくの長距離恋愛ののち、結局別れることになったのがよほどのショックだったのだろう、とマツイさんは語った。  そして俺が、その慰め役として連れてこられた訳である。なんという貧乏くじだろうか。ただ歳が下だという理由だけで、マツイさん配下のオカルト研究会メンバーなんていう、極めて関わり合いになりたくない人物と出会ってしまったのだ。あり得ない。 「じゃ、ミーちゃんくんは将来、何になりたいの?」 「……え」  不意打ち気味に、それを聞かれて。  言葉が、出なかった。 「あーダメダメ、ミーちゃんはバイタリティ欠乏症のもやしっ子だから。将来の夢とか希望とかなんかその辺のアレとか、重すぎて持てないのよな」 「うるせぇですよマツイさん。高校一年なんかほとんどがそんなのばっかりですよ。夢なんか、明確に持ってる方が珍しいんだ」  アンテナ低いだけじゃんさ、とマツイさんは容赦がない。  なんと言われようが、ないものはないんだ。探そうという気持ちがないと、そう言われれば確かにそうだが。それはあえて、探したくもないのに探さなくちゃならないほどのものなのか。気が付いたらなりたいものを既に持っていたっていう、そういう連中が幸運で幸福だっただけで、そう言う奴らの声が大きいというだけの話だろうが。 「あー、うん、その。ごめんね、ミーちゃんくん。気ぃ悪くしちゃったかな」 「いえ、別に」  ゆかちゃん先輩というのは、ある程度気を使える人らしい。それは普通に好印象だ。宇田さんもそうだが、趣味嗜好が若干タチの悪い行動の推進剤になっているというだけで、基本的に人は悪くない。マツイさんが度を超しているというだけだ。であれば俺も、マツイさんやミキに対するような無遠慮な物言いは控えるべきだろう。 「すみません、人んちで騒いで」 「いいのいいの。賑やかなのは私も好きだもん」 「でも賑やかとうるさいは違うんだぞミーちゃん」  アンタが言うのかこのやろう。 「あっ、そろそろUFO特番の再放送が始まっちゃう。ミーちゃんくんもほら、散らかっててごめんだけど、突っ立ってないでそこら辺に座ってよ。一緒にテレビ観よう」  手招きされて、特に断る理由もなく、俺はベッド手前の座布団に腰を落ち着ける。その特番再放送とやらには全く興味をそそられなかったが、家主がそう言うのであれば従わざるを得ない。 「ゆかちゃん先輩んちのテレビはいいなー、おっきくて」 「そう? そこそこの年代物よ。実家出る前に、私の部屋で使ってたヤツだからね。当時は結構新し目だったけど」  目の前のローテーブル上にリモコンらしきものを発見し、マツイさんに手渡す。  慣れた手付きで、マツイさんはテレビの電源を付けた。  そして、徐々に明度を増していくテレビ画面に、見たことのあるハンバーガーチェーンのコマーシャルが映し出された。 「ひっ――」  なにか――弦の切れた楽器のような音が、短く鳴ったと思った、その直後に。  この部屋の主の、絶叫が響き渡った。