第六章「戯曲礼賛・喜劇王」 0 「最後に一つ、君に忠告しておくよ」  黒髪の男はどこか軽快に、けれど酷く退廃した気配に乗せて、その人物の名を口にする。  それは何気ない、世間話のようでいて。  深く、黒く、押し込められた暗闇のような憎悪を、感じずにはいられなかった。 「三鬼 弥生――あの女のことを、決して信じてはいけないよ」  たから俺は、最初に掛けられた言葉を思い出す。  きっとそれは、俺自身の起源であり、今に至る理由であり、そして指針であるべきだと、そう思ったから。  いつかの夏の折り返しで。その男は、もう見慣れたあの微笑みと同じ笑顔を浮かべて、俺にこう問うたのだった。  ――自分の名前を、自分のものと。認識したのは、いつのことだい? 1  非常にどうでもいい話なんだが、夏臥美高校の野球部が夏の大会で敗退したらしい。  夏臥美町を(ミキが)襲った件の大雨があって、よく試合なんかに出られたものだと、最初は思ったものだが。改めて聞いてみれば、試合自体は雨が降る前、俺が双町に来たその日に終わっていたらしい。更にその次の日には出揃ったベストエイトの中に、夏臥美高校の名前はなかったと、つまりそういう話だ。  いや、正直俺はそんなことどうでも良かったんだが、というか試合の日取りさえ俺は記憶してなかったんだが。それがカミヤからの情報となると、ただ単に『あっそ』で済ませるのも気が引けた。あいつのミーハーっぷりは、今も相変わらずのようだった。  曰く、それなりに注目のカードだったらしい。夏臥美高校と言えば、今大会で突如として頭角を現したダークホースだったし、それ以上に相手も、甲子園出場経験があり優勝候補の早実(ささね)大付属。県営球場はかなりの賑わいを見せたそうだ。  カミヤとの話のタネにと、応援に行くと言っていたアズマに詳細を聞いてみた。そしたら敗因は、何のことはない、うちの主力選手が完全に封殺されたというだけのことだった。  夏臥美高校野球部きっての天才野手、四番バッター、安打製造器の相河。まさかの我らがクラス委員長である。その相河が徹底的にマークされて打点ゼロ。それも、得点圏にランナーがいる場面では迷わず敬遠、つまり勝負さえしてもらえなかったのだという。  特に相河の一打席目は、早くも先制かという期待に沸き立つ局面だっただけに、応援席は一時騒然となったそうだ。ルール違反でもないのに、何をそんなに大騒ぎするのかと俺などは思うのだが、カミヤに言わせれば言語道断、早実末代までの恥、とのこと。学校のランクがどうとか、あれこれ面倒臭い領域のようだ。勢いづく相手の長所を潰すなんて勝負事じゃ当たり前だし、結果的にランナー増やして失点のリスクだって負うんだから、さして問題じゃない気もするんだが。まったくもって、高校野球はどうにも外野が口うるさい。注目を浴びるっていうのも考えものだ。  結局のところ、相河一人で保っていたチームだ。仲間も相河に引っ張られて、多少なり伸びてきていたとは言え、所詮は去年まで弱小チームを形成していた部員たちである。野球に限らずチームスポーツは、一人強いからといって勝てるものじゃない。その一人を潰すことに相手が集中しているなら、それによってできた隙を残りの全員で突き崩せばいい。それができない時点で、負けて当然というものだろう。  それに、得点圏にランナーがいたら敬遠されたっていうなら、全く打たせてもらえなかった訳じゃないんだ。その数少ないチャンスで点を取るのがチーム最強のバッターだろう。ホームランを打てない四番に何の価値があるのか、俺にはちっとも分からない。  ともあれそうして、夏臥美高校生徒にとって、夏の風物詩である甲子園大会は終わりを告げたのだ。時は決して止まらない。何かが始まることがあるならば、当たり前のように終わりがやってくる。節目の行事が一つ一つ終わり、そして次の季節を迎える。終わって欲しくないと、誰がどれだけ願おうと。終わりは、いつか必ずやってくるのだ。  今、こうして。一週間という、俺の双町の滞在期間が、終わりを告げようとしているように。 「いやあ。色々あったが、一週間なんてあっという間だな、チリ君」  硬そうな顎髭を撫で付けながら、豪快な声で大五郎さんは言った。別れの一時さえも笑い飛ばしてしまうような明るさは、ほんの少し芽生えていた名残惜しさを、一層色濃くしたようだった。 「本当に。もう少しくらい、いても良かったのよ?」 「いや。一週間で帰れって、ミキに言われたからさ。それ以上長居してたら、何が起きるか分かったもんじゃない」  桜さんは本当に寂しそうに笑って、そんな風に引き止める。このやり取りも、もう何度目か分からない。しつこいくらいだったけれど、迷惑だとは思わなかった。  何となく、だけど。そう言いたくなる気持ちが、俺にも分かってしまうせいだろう。 「まあ、すぐ隣なんだ。何かあったらいつでも来なさい。いや、何もなくても来ていいんだからな」  大五郎さんはそう言うけれど、そのすぐ隣という微妙な距離感が、出無精のモチベーションを絶妙に奪うのだ。いっそ、気合いを入れなければ到着できないような遠方の方が行きやすい――なんて言っても、バイタリティの塊のような大五郎さんに、通じることはないのだろう。 「それは拙いだろ、大五郎さん。明日っから診察、始められるんでしょ。邪魔しちゃ悪い」 「水臭いなチリ君。そんな心配は要らないぞ。あの家はもう、自分の家だと思ってくれて構わない。そうだ、次来るときには二階も片付けて、客間を作っておくよ。ベッドも運び入れて。それなら気兼ねもないだろう。なあ、どうだい」  いいじゃない、と桜さんが相槌を打って、笑い合った。本当に、仲のいい夫婦だと思う。先のことなんて分からないけど、でもこの二人はきっと、ずっとこんな感じなんだろうと、不思議と信じることができた。 「私たちのこともだぞ、チリ君」 「――うん」  その意味を察して、頷く。頷きはするけれど、顔を上げられないでいる。だって、それは。それはやっぱり、どうしても。心から受け入れることは、できなかったから。  意固地になっているのかも知れない。ケチが付いたんだと口実を見付けて、自らまた迷おうとしているようにも思えた。でも、そうかも知れないと思っても、やっぱり気持ちは変えられない。結局俺はまた、取り逃したままでいる。 「……ごめん」 「謝るなよ。思春期は迷ってなんぼだ。迷って迷って、心ゆくまで迷えばいい。その経験が宝物だと、いずれ大人になったときに分かるんだ」  まるで見てきたことのように、大五郎さんは言い切った。強引さはミキといい勝負で、流石血縁者だと思わないでもなかったが、受ける印象は全然違った。ミキのそれはどうしても、弱みにつけ込もうとしているようにしか思えないのだから。 「何もないときにも来い、とは言ったがね。君の場合、何かあったときの方が、私には心配だ。ちゃんと、助けを求めてくれよ」 「――ああ、分かってるよ」  色々と、失態を晒した。殴られるくらいの失態だった。だから余計に心配されているのだろう。この一週間、自分の弱いところを、これでもかというくらい見せつけられた。ぐらついて、不安定になって、自分でさえ自分が嫌になったときでも、この二人は、何も変わらずに接してくれた。その言葉の一つ一つが、心に届くのが分かった。  優しくて、厳しくて、温かい――そんな、ずっと欲しかった、家族の関係、だった。だからこそ、俺はもうここにはいられない。理想に近付けば近付くほど、完璧に近くあればあるほど、粗は目立ってしまうものだから。そんなもののために、あの輝きを汚したくない。手に入らないのなら、せめて綺麗な夢として、大事に仕舞っておきたいから。  女々しくて涙が出てくる。でも、それでいいと今は思う。だって俺は、確かに何かを得たんだから。望んでいたものとは違う、まるで意味のないガラクタだったとしても。それの温もりを感じられるからこそ、今の俺は間違いなく、明日に向かっていけるんだから。  無駄なんかじゃなかったと。胸を張って言うことができる。 「そろそろ、行くよ。邪魔になるし」  乗る予定の電車はまだ来ていない。しかし、改札脇の隅に寄っているとは言え、いつまでも占拠しているのは気まずい。変に居心地が悪いというのもあったし、さっさと一人になって落ち着きたかった。 「ああ、だがそろそろひのえちゃんも来るんじゃないか?」 「いや、もういいんじゃないかと思うんだけど、待たなくても。重いんだよ、荷物。この上、ミキへの土産物なんて渡されても、ほら、危ないだろ」  俺の両手には、桜さんに持たされたビニール袋が計四つもぶら下がっている。使えそうな消耗品やら野菜やら野菜やら野菜やら、あと今日の昼と夜の弁当まで、大量に土産を受け取っているのだ。手が痛いし、痺れてもきた。そして何より、ミキの荷物を持たされるために、いつ戻るかも分からないひのえを待つというのは、異常に気が進まなかった。 「でも、弥生ちゃんもきっと、すっごく楽しみにしてると思うの。チリ君に届けてもらえると、すっごく助かるんだけどな」  などと桜さんが、赤面しかけるほどの微笑みで、俺の顔を覗き込む。そして後でうんうんと頷く大五郎さん。くそ、この布陣ではどうも上手くかわせない。あのミキが、土産を楽しみにするなんてまともな人間みたいなことをするわけがないのに、絶対あり得ないのに。 「第一、良かったんですか、ひのえ一人で行かせて。アイツは、まだ」  ひのえの怪我は、まだ治っていない。俺は怪我の経過を確認できないから、想像に過ぎないけれど。たった数日で安定する話なら、そもそもあんな大騒ぎになっていない。俺の怪我でさえ、未だに疼くことがあるんだから。ひのえの方は、本当なら、普通に生活することさえままならないはずだ。一人で出歩かせて、ミキに渡す荷物を取りに行かせるなんて、どう考えてもやらせるべきじゃない。 「まあ、本人がいいと言う以上は信頼するさ」 「そんなんでいいのかよ、ドクター」 「場合によるな。でもひのえちゃんなら、そう無理はしないだろう」  気の強い患者というのも扱いづらそうだ。とは言え、本当に危ない患者相手なら、大五郎さんは問答無用でベッドに縛り付けておくだろうし、そこは信じてもいいのかも知れない。  ひのえもそこまで子どもではないか、と思い直す。二木某の秘密道具を信用するよりは、ひのえを信じるという方が遙かに現実的で、納得もできた。 「ひのえは、しばらくはここに残るんですよね」 「ああ。と言っても一週間以内には帰るそうだ。それ以降は三ツ鬼の――三鬼宗家お抱えの医師に任せる。あの怪我だ、せめて夏休みの間くらいは、ここで安静にしてもらいたかったが」  三鬼宗家、つまり実家か。親元に帰されたカミヤを思い出す。その方が家族は安心できるのだろうか。ひのえはどう考えているのだろう。それに、普通に動けるからとひのえを野放しにして、或いは機関なんぞの仕事に精を出そうとしかねないアイツを、止めてくれる誰かはいるのだろうか。 「大丈夫だよチリ君」  不安を顔に出したつもりはなかったが、見透かしたように大五郎さんが声を挟む。 「三蓼(みたで)先生のことは私もよく知っている。多少変わったところもあるが、医者としての腕は間違いない。道中は、光曜(こうよう)君――ひのえちゃんらのお兄さんが迎えに来て、付き添ってくれるという話だから、そこも心配はないだろう」 「――光曜?」  それは、辻褄が合うような、違和感があるような、――何か、気持ちの悪い感じのする名前だった。 「チリ君?」 「いや、別に」  ミキの家族のことなんて、俺には関わりのない話だ。追求する時間も勿体ない。例外はひのえ一人だけで足りている。もう会うこともないだろうし、それで何の問題もない。ない筈なんだ。 「まあ、大五郎さんがそう言うなら、別に心配はしないよ。けど遅れるようなら、やっぱり俺はもう行こうと――」  そう言い掛けたとき、背後から、何か凄まじいほどの威圧感を携えて、 「どこへ行こうというのですか?」  レースだらけの白いワンピースを着た三鬼 ひのえが、不機嫌そうな顔で立っていた。 「うわ……」  改めて見ると、なんというか、似合いすぎてたじろいだ。いつもの帽子と合わせて、謎の気品が漂っていた。というか、何着ワンピース持ってんだ桜さん。 「ちゃんと待っていてくださいって、私お願いしましたよね」 「いや、了解してないし」 「お願いしましたよね?」  だが迫力は健在だった。無言のまま手渡された紙袋を、拒むことさえできずに受け取った。 「生ものですので、可及的速やかにお姉さまに渡してください」  つまり、夏臥美町に着いたら、自分の家より先にミキの家に行けと。早いとこ自宅で休みたかったんだが、それさえ俺には許されないのか。 「生ものって、食い物なのかよ。なんだ、菓子?」  紙袋の中身には、白い箱が入っていた。大きさからして、カットケーキ三ピース分くらいに思えたが、それにしてはやたらずっしりと重量感があった。袋には『コメヤ』という店名らしきロゴが印字されていたが、見覚えはない。 「お菓子ではありませんが、お姉さまの好物です」 「え、なにそれ、ちゃんと人間の食べ物?」 「ごくごく普通の食べ物ですよ」 「もしかして人肉?」 「言っている意味が分かりかねます」  なんか、ミキ関連の話題になると、ひのえの対応が物凄く素っ気なくなるときがある。軽くあしらわれているというか、諦められているというか。思い切り睨まれるのも嫌だが、これもなんか微妙だ。 「ともかく、間違いなくお姉さまに渡してくださいね」  ひのえがそう言って念を押す。  まあ、腐られても困るし、包装からして結構な高級品だし、仕方がないから渡してやることにしよう。  そう決めて紙袋を受け取ると、ひのえはやれやれといった風に溜息を吐いた。このやろう。 「お前はいいのかよ、ミキに顔見せなくて」  ひのえなら、ミキにはまた会いに行きたがるんじゃないかと思っていた。怪我にしたって、歩き回る元気があるなら、夏臥美町まで行くくらい問題ないだろう。まさか電車賃を渋ってるわけじゃあるまいし。  それともまだ、怪我のことを引け目に感じているのか。 「先日、お会いしましたから」  だから、もういいと。ひのえは、少しだけ寂しそうにして、視線を落とした。  崇拝というのは、面倒だ。多分気後れ混じりなんだろう。相手を優先するあまり、自分を殺さずにはいられない。自分が傷付くよりも、相手の邪魔をしてしまうことの方が、恐ろしい。  似たような話でぶん殴られた俺が言うのも何だが、なんとも馬鹿馬鹿しいことだ。ミキにそれほどの価値があるなんて、まったく思えなかったのだから。あんな奴、どうせ誰かに邪魔されたって、むしろそれを楽しんだり、でなければ先手を打って潰したりするのだろうから、気にしない方がいいのだ。例えば俺は、カミヤの件で、次にミキに会ったら必ず顔面を殴り付けてやろうと思っているけれど、それで怒られたらどうしよう、嫌われたらどうしよう、なんてことは欠片たりとも思ってはいない。義理も恩もありゃしない。尊重してやる必要なんかこれっぽっちもない。知ったことかよ。やりたいようにやればいいんだ。たかが人間一人、特別扱いする理由なんか、どこにもあるわけないんだから。 「…………」  でも。それは、確かなんだけれど。  ――弥生ちゃんを、支えてあげてくれないか。 「まあ、また会いたくなったら会いに行けばいいさ。今はいい時代なんだぞ、昔は馬に乗って山を越えたもんだが」 「アンタいつの人間だよ大五郎さん」 「あなたが乗ったら、お馬さんがかわいそうだわ。ねえひのえちゃん」 「ええ、重量オーバーですね」  割と容赦ない桜さんとひのえの反応で、大五郎さんは小さくなってしまった。  大五郎さんは、学生時代は非常にがっしりとした筋肉質だったらしい。当時の写真を見せてもらったが、あまりの貫禄に、学生というのが信じられなかった。野球の練習に熱中するあまり体重は減る一方で、それを補うために意識して食べまくっていたら、気付けば大食漢の仲間入りをしていたそうだ。その頃はそれで済んだのだが、大学卒業後は食事量そのままに運動量だけが激減し、今では見事な肥満体質を獲得していると、経緯はそんなところだ。落差で言えば、大学時代の大五郎さんが子連れで空腹で冬眠準備中の熊なら、今の大五郎さんはたっぷり脂肪を蓄えて冬眠を始めたところの熊である。  何事もバランスは大事というか、何もだらけていたせいで太ったわけではないのだから、もう少し手加減してやってもいいと思うのだが。女性陣の意見は、俺とはまた違ったもののようだった。 「っと、本当にそろそろ行かないと。いいんだよな」  腕時計を見てから、顔を見合わせ、頷き合う。  別れの時だ。永遠の別れというわけではない、と言っても。巡り会ったことそのものが奇跡だったように、もう一度行き逢うことだって、当たり前というわけではない。いつの別れが、今生の別れになるかなんて、誰にも分かるわけがない。それが普通なんだから。  写真の一枚も撮らなかったから、いずれはその顔も忘れてしまうことだろう。記憶から抜け落ちて、現実味が欠けて、その意味さえも薄れていくのだろう。  それでも、縁は繋がっている。  携帯電話を握り締め、その繋がりを感じようとする。電波が届く限り、この空の下にいる限り、無くなったりは絶対にしない、見えないけれど実在する何かが、確かにあるから。それさえあれば、また会うことだって、そう難しくはないはずだから。 「また、連絡してね。きっとよ」  桜さんが、一筋零れた涙を拭った。 「インスタントばっかり食うなよ。あんまり夜更かしするなよ。勉強、頑張れよ。応援してるぞ」  差し出した手を、大五郎さんにがっしりと握られる。痛いくらいだけど、でも温かくて、安心できた。 「チリさん」  ひのえが、帽子の下から黒い瞳を覗かせていた。  近づけた、と思う。大五郎さんや桜さんと同じように、ひのえとも。そんなことできるわけがない、むしろできなくたって構わないと、そう思っていた相手でさえ。  だからどうしたと、思わないわけではない。その関係性が、つまり何なのかも、やっぱりまだ分からない。結局俺は、明日からいつも通りの生活に戻るのだ。終わった後で、何も代わり映えがしないのなら、何の意味もなかったんじゃないかと。そんな風に言われても否定はできない。  無意味だったんだと、そう指摘されたところで。確かにそうかも知れないなと、俺は思うのだろう。  でも、それで構わない。  意味はあったんだと。  変わったものはあったんだと。  他ならぬ俺が、そう決めたのだから。  俺は俺の意地を通す。  カミヤにぶつけた言葉を、嘘になんかしたくないから。 「くれぐれも、お姉さまに無礼を働かないように。お姉さまの命令には服従し、使命を全うし、今後もより一層、お姉さまのために尽くしてください」 「お前はホントそればっかりだな」  最早苦笑しか出てこない。これじゃあ単なる芸風である。ちゃんと自分の考えは持っているのだから、あえて訂正してやろうとも思わないけれど。殴りついでに、やっぱりひのえの扱いについても、ミキとは一度やり合っておいた方がいいのかも知れない。まあ、勝てる気なんてさらさらないけど。  じゃあ、と手を上げる。  大五郎さんと桜さんが手を振って、見送ってくれる。  それを見て、何とも言えないくすぐったさに見舞われたから。すぐに視線を逸らして、回り込むようにして改札へ向かう。  そのとき、視界の端で。 「お姉さまのこと。どうか、よろしくお願いします」  そう言って頭を下げるひのえがいたのを、俺は確かに記憶したのだった。