第五章「Gracial Jardin」 6 前  夜が深まっても、雨がその勢いを弱める気配はなかった。細波のように打ち付ける雨が、静寂に眠ろうとする町を侵す異物として、強く強く、絶え間なく降り注いでいた。 「酷いな、なんだこの湿気。よくこんな町に暮らしていられるよ」  ノアールが苦い顔をして辺りを見回していた。暗闇の中で、その瞳は猫のように輝いて見える。それは夜の町の微かな光を反射して、ぼんやりと神秘的な青に染まっていた。 「まあ、慣れれば大して気にならなくなるものだよ。住めば都と言うじゃないか」 「オレ住んでないし」  ごもっとも、とミキは苦笑で返す。 「それにしても、なんだろうな――ここはどうも、聯の結界や擬獣の気配みたいなのとは別に、妙な感じがしてならない。閉塞感、とでも言うのかな。息苦しいよ、かなり」  ミキは感心してノアールを見る。確証があるわけではないのだろうが、それでもこの夏臥美の本質に勘付く感性は流石に並ではない。  その点は、昼間邂逅を果たした東堂 アンリも、薄々ながら気が付いていたようだった。そして思い返せば、朏 千里馬の有していた外に向かう精神性も、その影響を受けていたのかも知れない。ノアールは例外としても、資質を持つ者が三人も現れている。兆候が出ている者は更に数倍――この町もいよいよ末期が迫っていると、ミキは認識せざるを得なかった。 「いや、息苦しいのはこれの所為か」  そう言って、ノアールは身に着けたレインコートの襟を摘まんでみせた。今ミキとノアールは、お揃いの黄色いレインコートをしっかりと着込んでいる。流石に傘では邪魔になると、ミキもノアールの主義に賛同したわけだが、それでもノアールは渋々といった風だった。きっとまた、サイズが大きすぎるのだろう。何せ三十センチ近く背の高いミキの予備だ。裾や袖は調節したが、その分少し不格好である。 「折角乾かしてもらったんだから、極力濡れないようにしてくれよ。華ちゃんの喫茶店もこの時間はやっていない」 「え、おい、まさかこの格好のまま戦えって言うのか? こんなの着たままじゃ、動きにくくてそれどころじゃないぞ。まだ全裸の方が幾らかマシだ」 「君は少し恥じらいを覚えなさい」  む、とノアールは身構えるように一歩退いた。  もちろん、ノアールに露出癖があるなどとはミキも考えていない。ただ、一般的な人間と比して、ややずれた視点を持っていることは分かっていた。  ノアールは、ブランセを赤ん坊のようなものだと言ったが。  ミキにしてみれば、ノアールもまだまだ発展途上だ。 「まあ、擬獣の結界内に入ってしまえば、雨は気にしなくても良くなると思うよ。この雨は、二木の結界が働くことによって降り注いでいる。先に張られていたこの結界内には、その効力は及ばない」  結界は早い者勝ち。結界師にとってはそれが常識である。条件を満たさないものに対しては、それがなんであれ、境界を跨ぐような影響を許容しない。少なくとも、界装具という力が生み出す結界とはそういう代物なのだ。  そのことはノアールも承知の上なのだろう。変に問答することもなく、すんなりと頷いた。 「で、今この目の前に、その結界っていうのがある訳か」 「そういうことだね」  二人の眼下には、無人の校庭が存在していた。  ミキの通う夏臥美高校の校庭だった。当然、夏休みの部活動に励む学生の姿はない。教師ももう帰宅を済ませているのだろう、校舎からの明かりは一切ない。二人の立つ、校庭に面して建つ体育館の屋根からも、校庭の向こう側はほとんどが闇に紛れ、様子が分からない。  それでもよく見れば、可笑しな点に気付くことができる。これだけの大雨が丸一日降り続いていたというのに、校庭が全く荒れていないのだ。  校庭に屋根はない。雨量を考えれば、一時間もすれば水溜まりだらけになり、一日放置したならば、小さな池ができ上がっても不思議はない。それなのに今の校庭は、これから野球の公式試合でも始められそうなほど、綺麗に整えられたままの状態に見えるのだ。 「よくここだって分かったな。オレは鈍感な方だから、かなり近付かないと分からないんだけど」 「十戒もまた擬獣だからね。六条ほどの芸当は流石に無理だが、展開前に彼らの結界を探知する方法はあるんだよ」  ミキは難なくそう言ってしまうし、ノアールも、ミキならばそれくらいできて当然だと考えているから、この場では殊更に取り上げられることはなかった。しかし本来、擬獣の出現を事前に察知するなどという能力は、極めて異質な力である。  理論の上では、擬獣とは残留思念の寄り集まりなのだから、その疎密を追うことができれば、事前予測は不可能ではない。しかしそもそも、その残留思念というのがどういうモノなのかを、正しく理解できる人間がいないのだ。死者の無念、彷徨う魂を指すのだと学び、知っていたとしても、それが即ち理解しているとは言えない。一般人の考える幽霊という存在が『よく分からない恐ろしいモノ』と曖昧に捉えられるのと同じだ。ミキに言わせれば、死者の何たるかを生者が理解するなど構造的に不可能、という論理で一蹴される。  だから、擬獣出現の予知というこの能力は、今なお強力な能力者が多く所属する機関においても、ほとんどが呪い士――六条家の専売特許という扱いだった。その恩恵を受けられない者は、二木の魔道具を幾つも使い潰すなどして、何とか対応しているのが現実なのだ。  まして、そんな稀少で重宝されるというだけの、戦闘には何の役にも立たない能力を持っているにもかかわらず、超一線級の戦力として認識されるミキは、まさしく規格外と呼ばれるべき存在である。 「念のため、昨日の内から、学校へは校庭の使用を禁止してもらうようお願いしてあったけれど。どうやら今のところ、犠牲者は出ていないようだね」 「だけど、それも時間の問題だろ。人間が多く集まる施設の目と鼻の先にあるんだ。明日にはもう、校舎自体立ち入り禁止にしなくちゃ駄目だ。――ああ、だからここが最初な訳か」  ノアールは思案するように辺りを見回す。視覚で結界は捉えられない筈だが、その境界のようなものはノアールにも感じられるのだろう。  いや、或いはノアールの目ならば、擬獣の結界すらも認識できている可能性はあると、ミキは二木 聯の顔を思い浮かべた。 「やっぱり、今夜中に全部片付けないか? 猶予は三日と言っても、三日間丸々使ってたら犠牲者は出るぞ」 「いいや。予定通り、一晩に結界一つだ。焦って攻め込んで、疲労に足を掬われては元も子もない。察してくれよ。君ほどの体力を、私は持ち合わせていないんだ」 「じゃあ、さっさと本丸に向かえばいい。朔夜姫ってのを倒せばそれで終わるんだろ」 「朔夜と氷鬼だけで手一杯だよ。首尾良く追い詰めることができたとして、そこで他の二体を呼ばれたら流石に勝ち目がない。生前の話ならばいざ知らず、今の彼女は擬獣なんだ。一人の人間であった頃とは違う。彼女を含め四体それぞれが、私と同等以上の力量だと考えてくれ」  一日目と二日目の夜に二体の鬼を倒し、最終日に本体と最後の鬼を倒す。それがミキの立てた方針だ。それはノアールが現れる前後で変えていない。七十二時間という期限を目一杯使い、三嘉神 朔夜を打倒する。それが最善手であるという結論を、ミキは全く疑わない。 「記録に因れば、基点となっている鬼を倒し、結界を減らすことで、結界全ての侵攻を抑制できるという話だ。一時的だという見解が強いが、それでも無駄でないというだけで充分だろう。まずこの結界を潰す。次は明日の夜。本体は明後日だ。それでいいね?」 「……まあ、お前が言うなら、それでいいよ」  その論争に興味を失ったように、ノアールは肩を回し始める。気になったから問うてみた、その程度のことだったようだ。着眼点は悪くないとミキも思うが、作戦立案に向いていない自覚はあるのだろう。  というより、ミキとしては、そういう意見のぶつけ合いは、あの黒い部屋で済ませておきたかったのだが。だからと言って、咎めるような気はさらさらなかった。  人間は誰しも、常に最良の選択を行うものだ。結果として、実はそれは悪手だった、良く考えればもっといい手があった、ということは多々あるのだが。行動を選択するという段階では必ず、当人なりの最善手を選ぶものだ。悪を成す時でさえ、今はそうすることが最善であると判断して、実行するのだ。  だが、人それぞれに判断基準は違う。故に、相手の選択の意義が分からないことも往々にしてある。自身と同じ選択をしないことに対し、やきもきする気持ちは普遍的なものだ。度を過ぎれば、傲慢や我が儘だと言われる感情だが、違和感を覚える程度のことは誰にでもある。  それが個性であり。  それぞれ独立した思考を持つ人間の性である。  その違いこそを愛でるミキにとって、意見の相違、思い通りに動かない他人など、愛寵の対象でしかないのだ。 「さて、方針も固まったところで、ノアール。結界に入る前に、これを飲んでくれ」 「それは」  ミキがノアールに差し出したのは、手の平に収まるサイズの採血管だった。中身も入っていて、赤黒い液体が揺れに合わせて流動している。 「さっき、夕飯食べた後に採ってたお前の血か。それで、この結界の効果を打ち消せるのか」 「完全に打ち消すまでは無理だろうが、かなり中和できるのは間違いない。そもそも朔弥姫の結界は、彼女の血族以外、全ての存在の動きを止めるという能力だ。本来君は、結界に触れた時点で停止してしまうのだから。まともに戦闘できる程度に身動きができるようになれば、それだけで御の字というものだろう」  十体存在する十戒の対処は、それぞれ担当する機関の主要十家に委ねられてきた。そういう組織的な分担であるから、担当外の家々は基本的に手を出さない。それは、それこそが機関主要家が十家設けられた理由だからだが。それ以上に、主要家と十戒との間に、浅からぬ因縁がある場合が多いからである。  三鬼と三嘉神の因縁は言うまでもないが、そもそも、三嘉神と渡り合えるのが三鬼の血統だけだという、根本的な相性の問題があった。三鬼家以外の者には、朔弥の姿を見ることさえ叶わない。それ故にこれまで、擬獣たる原初の鬼姫を鎮める役目は、三鬼家が担ってきたのだ。  だが、厳密に言えば――ミキが提示したように、三鬼家以外の者が戦う術は、実はある。そうでなければ千年前、生前の朔弥を打ち倒すことは、誰にもできなかったのだから。  ミキは言わなかったが。  これこそが、かつて八剣が用いた対抗策だった。  朔弥以外の三嘉神の者を狙って殺し。  その血を啜り、肉を喰らい。  朔弥の懐に踏み込んだ。  当然ながら、その事実は――八剣側の記録には、一切残されていない。 「血を飲むなんて、抵抗があるかな?」 「なんで。ただの赤い水だろ」  ノアールは採血管を受け取ると、封を開け、躊躇いなく嚥下した。いっそ惚れ惚れするほどの、豪快な飲みっぷりだった。 「うえ。飲みにくいな、喉に絡む」 「だろうね」  顔を歪めたノアールがおかしくて、ミキはまた笑ってしまった。 「できたて生肉の超初期無糖飲むヨーグルト風味みたいな」 「すごい比喩を持ち出してくれたところ悪いんだけど、多分それ普通の人には伝わらないと思うよ」  空になった採血管を返してもらうと、ミキはそれをレインコートのポケットに仕舞った。そして入れ違いに手にしたのは――鈍く古めかしい輝きの、金の懐中時計だった。  カチカチと一定間隔で鳴る音と、それに伴う針の動きに目を落としてから、ミキはその時計を再びポケットに戻した。 「さて、それではいよいよ第一陣と行こう。心の準備はできたかな、ノアール」 「とっくにできてるよ、弥生。生まれたときからずっとできてる」  結構、というミキの喚び声が、その傍らに赤い影を滲ませる。雨を弾き、闇を穿ち、醜く身体の一部が欠けた鬼が現れる。  その鬼を、ノアールは嬉しそうに見つめてから、 「さあ、早くオレを戦わせてくれ」  我先に、結界の覆う校庭へと、飛び込んでいった。 中  青。青。青。  青い世界だった。  その世界は青に染まっていた。  それは、晴天に覆われていた訳ではない。当然ながら今は深夜なのだし、雨は止んでいても、鈍く重い曇天を見上げることもできた。辺りは暗く、光もない。青色の要素など、見渡す限りどこにもなかった。  それでも、青い。  地面が青い。  雲が青い。  視界が青い。  あらゆる影が、青い。  それは朝霧に反射する青空の光という温かい眩さではなく。  夜の校庭という風景に、原色の青い絵の具を溶かした水をぶちまけたような、どこか悪寒のする、気色の悪い色だった。  そして――音が消えていた。木々のざわめきも、風の通り抜ける音も、懐中時計の針の音さえ、何もない。停止した世界の中で、止まっているという確証は、感覚ではどうしても分からないものだ。ミキは懐中時計を取り出して、その盤面で微動だにしない針を見――やっと、時間が止まっていることを確認した。  ミキが校庭の端、結界の際に降り立った直後、激しい地鳴りがした。後方にアカが付き従っているのだ。ミキはそれを確認することもなく、先陣を切ったノアールを目で追い掛けた。  ノアールは――既にレインコートは脱ぎ捨てたようで、金色の髪だけが揺らめいて見える――トラックのほぼ中央に着地すると、二、三歩の軽やかなステップのあと――その前方に佇んでいた何モノかに、渾身の右ストレートを放った。 「うわあ」  さしものミキも、その光景に思わず頓狂な声を上げた。  鋼でも殴り付けたような鈍い音と共に、ノアールの拳を受けたソレは大きく後方へ吹き飛んだ。  それで終わるかと思いきや、ノアールは何の躊躇いもなく跳躍して追撃し、落下する勢いを乗せたかかと落としを相手に見舞った。響く炸裂音。ミキが蹌踉めくほどでないにせよ、足場が大きく揺れ動く。  ミキの位置からはよく見えないが、地面が大きく陥没して、クレーターが出来上がったようだ。その中心にソレはいるのだろうか――と様子を窺うまでもなく、ノアールが地面に埋まっていたらしいソレを引っ張り上げた。  ノアールは、片手で持ち上げたソレを軽々上空に放り投げたかと思うと、慣性で落ちてくるソレを回し蹴りで捉え、左方向へと蹴り飛ばした。 「ちょっと待った、ノアール。ノアール!」  土埃を巻き上げながら派手に吹き飛んでいくソレを、ノアールはなおも追い掛けようとしていた。ミキの制止がなかったら、その通り動いていただろう。 「なんだー、弥生ー」  声が届いたことにほっとしながら、ミキはアカと共に、ノアールの元へと駆け寄った。 「なんで止めるんだよ。アレは『吸血鬼』だろ? だったら、速攻で倒す段取りだった筈だ」 「そうなんだけど――」  先ほどまでノアールがボコボコにしていた相手が、三嘉神 朔弥の持つ鬼の一体『吸血鬼』であることは、間違いないとミキも感じていた。外見などあまり判断材料にならないと思っていたが、背中に翼が見えたのだ。その特徴を、書物の中の『吸血鬼』は確かに保有していた。  この吸血鬼もまた、氷鬼と同様に結界を操るのだ。その特性は、活力の吸収。結界内に存在する全ての生命体から、あらゆる力を吸い取るのである。しかも、失われた力は全て吸血鬼に還元されるのだからタチが悪い。  吸血鬼は、言葉巧みに時間を稼ぎ、奪った活力で傷を回復させながら遅滞戦闘を繰り広げ、相手が自滅するのを待つ――そうした狡猾な戦い方を好んで使う。そういった情報を、かつて討伐に赴いた三鬼家の生き残りが、文字通り命を賭けて持ち帰ってきてくれたのだ。  そんな相手だからミキは、問答無用で電光石火の攻勢を仕掛け、一気に勝負を決めてしまおうと、あの黒い部屋でノアールに話していた。  だがここに来て、本当にそれでいいのかと、ミキの第六感が告げたのだった。 「あまりに弱すぎる。相手は眷属といえど、十戒に違いないんだ。それが、こうもやられっぱなしでいるものだろうか? 私の予想では、君とアカが最初から全力で戦って、十分間くらいは互角に渡り合えるだろうと考えていたんだ」 「んん」  ノアールが腕を組んで、吸血鬼の飛んでいった方向へ視線を流した。 「まあ確かに、本気出してないのは見え見えだったけど」 「ああ、本当に分かるんだね、それ」 「でも、そうやって敢えて手を抜いて、こっちの動揺を誘う作戦なのかと思ったんだよ。それなら、そのまま押し切って勝つのがオレたちの方針だったろ」  ノアールの言うとおりである。もしそうなのだとすれば、今こうしてミキがノアールを止めたことこそ、相手の思惑通りだったということになる。今すぐにアカを放ち、ノアールとで挟撃して、速やかに相手の息の根を止めること。それが、この場合の最善であることに疑いはなかった。  だが、それでも。このまま吸血鬼を倒しきることはできないと、ミキは確かに直感したのだ。 「キサマこのドチビ! 金髪! 暴力女! いきなりやってきてボカスカ殴りやがって、一体何様のつも――」 「うるせぇ黙れ誰がドチビだ!」 「悪いんだけど少し向こうに行っててくれないかなキミ」  何か知らない声が聞こえたようだったが、今のミキにはそれどころではない。騒がしい外野が、ノアールの裏拳とアカのラリアットで断末魔と共に弾け飛んでいくのを見届けると、ミキはノアールへの次の言葉を考え始めた。 「アイツ、思ったよりはずっと弱いけど、それでも相当タフだぞ。頑丈なのか、それとも殴られた先から回復してるのかは知らないけど、少なくとも簡単には倒せない。さっさと仕掛けないとジリ貧だ、のんびりしてる暇はないだろ、弥生」  その意見は妥当なところだ。今のところ自覚はないが、ミキとノアールの力が刻一刻と奪われつつあるのなら、すぐにでも吸血鬼を打倒して、この結界から抜け出なければならない。 「恐らく、その思考が罠なんだろう」  だが、忘れてはいけない。能力の弱点というものは、誰よりも使用者本人が熟知しているものなのだと。 「ノアール。君が本気で、全力で戦えるのは何分くらいだ?」 「そんなの幾らでもさ。むしろ、オレは手加減が苦手な方だよ」 「本当に?」  ノアールは怪訝そうな顔をしてミキを見た。言わんとしているところが分からないようだった。 「力とは『波』だろう。バイオリズムのように、大きく高まるときもあれば、激しく落ちることもある。君の言う全力戦闘とは、意識してその波の揺らぎを抑え、高水準で留めるという意味じゃないのか。幾らでも全力で戦えるというのは、そうやってある程度出力を絞っているからだよ。そうでなければ身体が保たない」 「んー……つまり?」 「君が全力で戦っているとき、君の出せる本当の、力の波が最大値に達する渾身の一撃は、無意識下で絶対に使えないようになっている。そういうことだよ」  曖昧に頷きつつも、ノアールの顔はそのままだった。ミキはアカの様子を窺いつつ、その先を続ける。 「恐らく吸血鬼は――一定以下の攻撃力を無力化している」 「なに?」  ノアールが、ようやくはっきりとした反応を示した。 「頑丈なんでもなく、回復してるわけでもなく――効いていない?」 「そう。そして、それを相手に悟らせないのが吸血鬼の戦術だ」  だとすれば、相手は完全な知将タイプだ。己の力は最大限に活かし、敵の力を限りなく殺す。結界という地形効果の触手が敵の脚を絡め取るまで、虎視眈々とその期を待つ。慎重で我慢強く、瞬時に相手の力量を見極める観察眼も持っている。アカとノアールという攻撃に特化したツーマンセルが、最も警戒すべき相手だと言えるだろう。 「じゃあ、どうする」 「一撃必殺。吸血鬼が無効化できる許容を越えた、最大威力の一撃を叩き込むしかない。それは恐らく、単純に力いっぱい殴るだけでは足りない。その一撃で勝負を決める、それほどの覚悟がなければ意味がない。切り札があるのなら、今は惜しまず切るべきだ。それでようやく、相手に痛手を与えることができる」  ミキがそう言いきると、ノアールは迷うように視線を揺らしながら、スカートのポケットに手を入れた。そして引き抜かれたのは、二木の紋章が墨で描かれた、一枚の札だった。 「そういう意味の全力なら、オレのはこれが一番だ。でも、これだけだと制御が上手くいかないから、複雑な動きはできないし、瞬間的な判断力が鈍る」 「ならばアカに先行させよう。吸血鬼の動きを止められれば、君なら確実に当てられるだろう」  ノアールも頷いて、吸血鬼の飛んでいった方向へ身構える。異論も疑問も尽きたわけではないのだろうが、ここが敵地で、時間は有限なのだということを、よく理解している様子だった。  ともあれ、これで作戦は決まった。アカが吸血鬼を拘束し、ノアールが致命傷を与える。シンプルだが、数で勝る陣営の定石と言える戦法である。奇策が勝敗を決定することも勿論あるのだろうが、星の数ほどある戦場の多くでは、そうした定石こそが明暗を分けるものである。 「しかし、呪符とはまた古風な物を使う。それも聯の作品かな?」 「ゲーム的に言えばバフだよ、要するに。これを使ってようやくオレは、聯が指揮を執ってくれるときと同等の力が出せる」 「ほう、それは頼もしい」  言いながら、ミキはやっと得心がいった思いで、満足そうに微笑んだ。  ミキの知る、今までのノアールは弱すぎた(・・・・)のだ。あの二木 聯の右腕が全力を出して、封印状態のアカと同程度だとは考えづらいと思っていたが。まだ切り札を隠し持っていたということだ。 「あんまり、気は進まないんだよ」 「おや、どうしてだい」 「誰かの手を借りなきゃ出せない力なんて、自分の力とは言えないだろ」  それは逆だろう、とミキは指摘する。  単独行動を好む二木 聯だから、ノアールにとっては、普段振るっているのが己の力なのだろう。しかし本来、ノアールは常に聯の傍らに控えているべきなのだ。ミキにとってアカがそういう存在であるのと同様に、聯にとってのノアールも、聯の振るう最大の武器なのだから。 「そうだとしても、オレは――」  一人で戦えなくちゃいけないんだと。  そう力強く言い切るノアールの姿が、ミキには、寒さに凍える小さな動物のように見えた。 「流れ、回り、漲れ――『金剛力』」  短い――恐らくは呪符を起動させる詠唱らしき言葉を口ずさむと、札は青白い炎を上げ、瞬く間に消え去った。  それと同時にミキは、ノアールを包む気配が一変したことを感じ取った。極限まで研磨された刃のような気迫。十戒の結界が尋常ならざる威圧を与えてくるこの空間で、全く劣らないだけの存在感を放出していた。 「アカ」  ミキの声に従い、赤鬼が動き出す。吸血鬼が立つその場所へ、重々しい挙動と共に駆けていく。距離にして、百メートル弱。アカやノアールならば、瞬時に詰められる間合いである。 「ノアール。吸血鬼に隙が生まれたら、アカ諸共でいい――やれ」 「ああ――」  ノアールが身を屈めたと思うと、全身をバネのようにして、弾け飛んだ。初速からゼロコンマで最高速へと達し、音を置き去りにする。既に吸血鬼の目前まで迫っていたアカの背へ、その金色は一瞬で追い付いたのだ。 「――アカ?」  それが、仇となった。  普段の三鬼 弥生ならば、決して起こさないはずだった、失策。  擬獣の結界によって覆われていたせいか。  ノアールの覇気が眩しすぎたからか。  それとも、自身の鬼に対する絶対の自信が、その目を濁らせたのか。  アカの力が、見る影もなく(・・・・・・)衰弱している(・・・・・・)ことに、ミキはそのとき、ようやく気が付いた。 「下がれノアール――!」  その声がノアールに届く、遥かに前。  アカの繰り出した拳を、吸血鬼の細長い影が、いとも簡単に受け止めた。  それでも決して凡庸ではない巨腕の一撃を、吸血鬼は片手で難なく無力化したのだ。  そしてアカが宙に浮く。重力が逆転したかのように。  吸血鬼はアカの肉を鷲掴みにしたまま持ち上げ、そして地面に叩き付けた。 「――っ!」  呻きを上げたのは、ミキとノアールの両方だった。  ミキは、アカと痛覚を共有しているわけではないが、それでもその痛みの程を感じ取ることはできる。想像を優に超える衝撃に、身体が砕け散る様を思い描いた。  だがそれも、ノアールには及ばなかっただろう。  ミキの制止も既に遅く、ノアールは吸血鬼の心臓を抉るべく拳を放った。だがそれは明らかに、大きすぎる力に振り回された攻撃だった。どれほど膂力を高めようと、それを御するだけの性能が足りていないのだ。アカが敵を抑えられていない現状、それが相手を捉えられる道理はない。紙一重で攻撃を見切られ、腹に膝蹴りのカウンターを喰らい、来た道を撃ち戻される。  ミキは地面を蹴り飛ばす。この時ばかりは、ミキにいつもの笑顔はない。放っておけば、結界の外まで弾き飛ばされかねないノアールを、決死の思いで受け止めに行ったのだ。今ここで、ノアールを失うのは拙い。 「ハッ。今更歯ァ食い縛っても遅ぇんだよ女狐が」  その嘲笑を聞きながら、ミキはノアールを受け止める。落とさないよう抱きかかえながら、身体を回して可能な限り勢いを殺す。それでも受けきれずに、ミキまで後方へ飛ばされる。両の足が地面を削り、数十メートルほど後退してやっと、ミキは静止することができた。 「無事か、ノアール」  腕の中のノアールをミキが見下ろす。  ノアールは目を閉じ、気を失っているようだった。こうなると生死の確認が全く取れないのだが、腹部は服の破れすらないところを見ると、恐らく死んではいないだろう。 「――カッ、頑丈だな、チビが。ハラワタぶちまけてやるくらいのつもりで蹴ってやったってのによ」  ゲラゲラと笑いながら、吸血鬼が歩み寄ってきていた。その気になればすぐにでも肉薄できるのだろうに、獲物を追い詰めるかのごとく、ソレはゆっくりと進んでいた。 「まあ、こうなったらお前らはもうオシマイだ。せいぜい大人しくしてろよ。そうしていれば、一人一人丁寧に、叩き潰してやるからよ」  鬼の狂笑が響く中で。  ミキは、苦々しく唇を噛み締めた。 後  戦況はおよそ最悪と言って良かった。  接近戦で無類の強さを誇るアカとノアールが、揃って叩き伏せられたのだ。  油断はなかった。ノアールの言うとおり、相手は手加減をしていたのだろうが、それを考慮しても、まだしばらくは相対できるとミキは踏んでいた。こうも急に、こんなにも一方的に、追い詰められるわけがないと、その光景を目撃してなお、信じられずにいた。 「その強さ――先程までとは全く違うな。まださほど時間も経っていないはず。一体どんな手品を使ったんだ、吸血鬼」  後退りながら、ノアールを抱えたミキが問い掛けた。鬼が冷笑で以て迎えるのを見ながら、その全貌に意識を寄せる。  銀色の頭髪は異常に長く、たっぷりと垂らした先を首に巻き付け、マフラーのように仕立てている。全身は浅黒い筋肉質の肌に覆われた人間に近かったが、直立した状態で地面に届きそうなほど両腕が長く、異形だった。翼は蝙蝠のようで、右翼は半ばから皮膚が剥がれて肉が晒され、更に先端には骨が覗く。充血した両目が、怪物じみた姿を、更に恐ろしげなモノに仕上げていた。 「キュウケツ――吸血? ああ、確かに俺は血吸いの鬼だがな。吸血鬼なんて名を名乗ったことなんざ、一度たりともねぇよ」 「なに――?」  吸血鬼では、ない。そう言い切られて、ミキは遅まきながらその可能性に至る。  三嘉神 朔弥は、十世紀も前に死んだ人間だ。それに対し、吸血鬼(ヴァンパイア)伝説が世に広まったのはこの数世紀の間。吸血鬼という概念が、この鬼に通じなかったとしても、何ら不思議なことはないのだ。 「いや、しかし――」  可能性の話をするのなら、それはどちらもあり得たことだ。  擬獣は、常に周囲の思念を取り込み、混ざり合いながら、すこしずつ大きくなっていく性質を持つ。より強い存在になりたい――そんな無意識下の渇望を、全ての擬獣たちが抱えているのだ。それは、かつて生き物だったときの名残である。『死』という、全生命体が忌避する概念からの逃避、自己防衛だ。それは擬獣と化した後も変わらない。死にたくない、もう二度と、あんな恐ろしい目になんか遭いたくない。その一心で、擬獣は死ぬ度に強くなる――その果てに生まれたモノこそが、『十戒』。対擬獣専門の能力者以外が擬獣を倒してはならないというルールを、機関が厳格に徹底するようになったのは、その仕組みに気付き、二度とそのような脅威を育てないことを誓ったため。故にその名は『戒め』を冠した。  取り込んだ思念は、擬獣の在り方に少なからず影響を及ぼす。その思想、その性質、その記憶、その能力が、次第に変容していく可能性は大いにあった。だから――千年前には存在しなかった吸血鬼という概念を、朔弥の鬼が有しているという可能性も、決してゼロではなかった。この鬼を吸血鬼と称し、後世に伝えた先祖達も、その可能性に着目したに違いない。  だが、今となっては意味のないことだ。厳然たる事実を前に、可能性を語る余地はない。  敵の結界に、こちらの力を徐々に吸い取る効力があるのは間違いではない。こうして結界の中にいれば、おのずと分かることだった。しかしそれは、眼前の鬼の本当の能力ではない。  であるならば、その能力とは―― 「奪ったのか、アカの力を」 「正確には、入れ替えたんだよ」  勝利を確信しているからか、相手の口は呆気なく開いた。そのおかげでやっと、ミキはその正体に気付くことができたのだった。 「そうか。つまり、君の正体は――」 「ああ、そうとも」  その鬼は高らかに、昂然としてその名を告げる。 「我は三嘉神、朔夜の影、前門の阿鬼――『天邪鬼(あまのじゃく)』」  天邪鬼――それは神話の時代、人の心を読み、その意に反する悪行を重ねたという妖怪の名。そして、反転という希有な属性を持つ悪鬼とされる。朔弥姫の結界を守護するこの鬼は元々、その概念を基に生まれた界装具だったのだ。  その能力は、対象と己の強さを入れ替える。つまり、今の天邪鬼はアカと同等であり、天邪鬼の持つ元々の力をアカが持っているということだ。それも、常に加減して戦うアカとは違う。その全力を、天邪鬼は完全に、己の力として制御している。ノアールがし損じたように、身に余る力を操るのは並の業ではない。その器の膨大さは、アカと同等――否、その精神状態を踏まえれば、アカ以上にその力を使いこなせるのかも知れない。小細工をものともしない力、圧倒的なただの力。それはあらゆる策を撥ねのける暴力だ。仮に別の鬼を呼んだところで、状況は一向に好転しないだろう。頼みの綱はノアールだが、今は意識を失い、起きたとしてもすぐに本調子で戦えるかどうか分からない。  ミキは今、完全に追い詰められたのだ。 「元々俺は非力なのさ。あの赤鬼はおろか、そのチビの足下にも及ばねぇ。さっきは正直肝が冷えたぜ。こっちの準備が整わないうちに、致命傷を喰らいかねねぇと思ったからな」  準備が整っていなかった。それはつまり、ミキがノアールを止めている間に、発動条件が揃ってしまったということを意味している。 「だが間一髪で間に合った――しかも、力だけで言えばより強い赤鬼の方が、自分から俺に触れて(・・・)くれた(・・・)。感謝してるぜ、朔夜の複製品よ。お前が慎重になってくれたお陰で、俺はお前たちをなぶり殺しにできるんだからな」  ミキの過ちだと。そこに反論はできないが、ミキに言わせれば少し違う。ミキが止めずに、あのままノアールが攻め続けていたとしても、結局倒しきれず、同じ状況に陥っただろう。最大出力の攻撃、その一撃で以て討ち滅ぼすべきという判断に間違いはない。だからここで言うのなら、ミキの過失とは、ノアールを止めたことではなく、ノアールを止めるのが遅すぎたということだ。 「その礼だ、最期に名前くらいは聞いておいてやる。そら、名乗れよ女。てめぇは一体なにもんだ」 「――――」  ミキは答えない。ただその黒い瞳で、射るように天邪鬼を見つめていただけだった。  それを見た天邪鬼は訝しげに、ミキを睨み付ける 「なんだ、怖くなって声が出ねぇか? おいおい、落胆させんじゃねぇぞ。それでも朔夜の直系かよ」 「――いや」  そのとき、ミキは言葉を失っていた。  天邪鬼の言葉が、あまりに人間らしかったから。  流暢な人語を操ることは、資料から情報を得ていた。それそのものは、何も驚嘆すべき事柄ではない。  そうではなく。  それではなく。 「――ああ」  名を、問われたのだ。  名とは、その存在の符号――それだけでなく、その存在を一個たらしめる重大な要因である。  戦の駆け引きではない。その質問はただ純粋に、目の前の人間と相対するという意思の表れに他ならない。  ただの邪魔者として見ているのではない。それだけならば、名など知らなくていい。そうではなく。生殺を賭けて戦うために、対等の立場にある他者として、名を告げろと天邪鬼は言っているのだ。  十戒であり擬獣であり、鬼であり界装具である異形が、そうして他人と向き合おうとしている。俗のような口調の裏に、強く高潔な意気を、ミキは確かに感じたのだ。  擬獣と言えど。十戒と言えど。  ミキは、そんな天邪鬼という相手に尊敬の念を抱き、――心から、愛しいと思った。 「ならば教えよう、天邪鬼。聞いてくれ、聞いて欲しい。私の名前を」  ミキはノアールをそっと地面に寝かし、一歩前へ出て、胸を張る。  今ここにいることを誇るのだ。これまで歩んできた道を踏み締めて。己が存在を世界に謳う。 「三鬼 弥生。鬼として産まれ落ち、鬼として幕を引く――そのためだけに生きてきた!」  天邪鬼が自分と向き合ってくれたことに敬意を表し。そして今、三嘉神 朔夜とその一派に対し、ミキは初めて、敵として対等に向き合う覚悟を決めた。  名乗りを聞き届け、満足そうに口元を歪めてから、天邪鬼は始動する。絵画に描かれた悪魔のように鋭い爪を上げ、ミキの喉元を引き裂かんとその手を伸ばす。  その瞬間、ミキを取り巻く世界が、驚くほど緩やかに進み始めた。視界が明度を上げ、その情景を一つ余さず認識させる。一瞬の出来事が、ミキには何時間もの長さに感じられていた。 「弥生――!」  いつの間に目が覚めていたのか、ノアールの悲愴な叫びが耳を打つ。  ミキに迫る凶刃は既に回避不能。如何なる達人であろうと対処できない致死の宣告。だから――  だからミキは、心臓に突き刺さるほどに、死への恐れを感じていた。  その痛みを覚えている。  その弱さを忘れない。  この恐怖を永遠のものとする。  ――故にこのとき。三鬼 弥生に、敗北はあり得ない。 「――耳無しの赤鬼(キカズ)」  ミキの影――足元から、突如として赤鬼が咆哮を上げて現れ、天邪鬼に襲い掛かった。先程より一回りも大きく見える腕で、細い天邪鬼の上半身を掴み、握り締める。  噴火するマグマの如く無慈悲な奔流。鉄骨の砕けるような音が幾重にも鳴り、天邪鬼の身体は握り潰された。下半身は崩れ落ち、千切れた頭部は高く飛んで、地面に転がり落ちる。 「なん、だ」  天邪鬼は、何が起きたかも分からないといったような、唖然とした表情を浮かべて呟いた。勝てるはずだった。負けるはずなどなかった。だというのに身体が破壊され、紛れもない敗北が、突如として訪れた。理解できない、意味が分からない。この理不尽は一体何なのだと、痛みさえ忘却して問い質しているようだった。 「戦いとは得てして、勝利を確信した方が負けるものだよ」  ミキが天邪鬼に近付き、最早骸と呼んで差し支えない姿を見下ろした。 「本気のアカはどうだったかな、天邪鬼」 「……ああ」  天邪鬼は、合点がいったという風に目を閉じると、ミキの隣で直立しているアカに目をやった。 「真名解放――言霊を鍵にした封印式か。あれだけの力を持ちながら、常時解放型じゃないのかよ。俺が見誤るなんざ、焼きが回ったもんだよなぁ、クソが」  掠れてほとんど聞き取れないような声をして、天邪鬼は悔しげに笑った。 「あのチビの最後の攻撃も、力だけなら赤鬼に負けてなかった。信じらんねぇくらいイカれてるぜ、お前ら。前に戦ってから何十年だか経って、一体世界はどうなっちまったんだ。お前らみたいなのがうようよ出てくるくらい、愉快に変貌しちまったのかよ」 「さあ、どうだろう。思えば過渡期を迎えているのかも知れない。長きに渡る停滞に嫌気が差して、時代が、世界が、変革を求めている――のかも、ね」  半ば冗談を飛ばすように、ミキは言う。慈しむように。最愛の人を看取るかのように。その顔は、優しく笑っていた。 「もう少し、話をしていたいのだけれど。残念ながら、もう時間かな」 「カッ、ふざけやがって。俺はもうてめえらとなんざ、一秒たりとも一緒にいたくないぜ。貧乏くじは御免だ」  くっくと喉で笑って、天邪鬼は薄れていく。 「勝利を確信した方が負ける、か。なあおい、弥生っつったか。それはいったい――」  最後の一欠片まで塵と消え、幻へ還らんとする、その最期のときに、 「だれのことなんだろうな」  天邪鬼は、不吉な呪いを遺していった。