第四章「Doppel Ganger 後編」 4 前 「うわぁ、このスープなんですか? 酸っぱいような辛いような、食べたことない味ですよ」 「それは酸辣湯(サンラータン)というの。美味しい?」 「はい、とても」  向かい合ったカミヤと桜さんがそんな遣り取りをしていた。酸辣湯というのは如何にもな中華料理で、一つ一つ確かめるまでもなく、テーブルには中華三昧のメニューが並んでいた。冷房の効いた室内に、熱い夕飯の湯気が立ちこめている。 「先輩先輩。この餃子、ハネが付いてますよ。どうやったらこんな風になるんでしょう」 「確か、小麦粉で焼くんじゃなかったっけ。米粉を使う場合もあるらしいけど」 「あら、よく知ってるわね。これは米粉で作ったの。チリ君はお料理とかよくするの?」 「いや、ネットで調べたことがあるだけで……」 「おお、最近の若者は調べ物熱心で結構なことだなぁ」  俺の正面の大五郎さんは感心したようにうんうんと頷いた。いや、そんなことで感心されても。アズマに『チリはネット依存症だよな』と言われてへこんだのを思い出す。  時刻は午後七時。バッティングセンター帰りの空腹に、目の前に広がる手料理の数々は正直垂涎ものだった。 「これはなんて言うんですか?」 「それは小籠包(ショーロンポー)。小麦粉と豆乳を水に混ぜて捏ねた皮にね……」  カミヤ、全部の料理の名前を尋ねる気か。  今日一日、大五郎さんに連れられて双町を回って分かったことだが、カミヤは食に対する興味が人並み以上あるようだ。昼食で食べたカツ丼を見たときには吃驚したような顔をしていたし、立ち寄った商店街の食品売り場では目をきらきらさせていた。今までどれだけ淡泊な食事生活を送ってきたのか分からない。いや、他人のこと言えた義理はないが。 「ひのえちゃんはどう? 気に入ってくれたかしら」 「はい、とても美味しいです」  奥の席で静かに食べていたひのえは無表情のまま味気ない言葉を返した。しかし桜さんは気にした風でもなく「良かったわぁ」と頬を染めていた。これだけ手の込んだ料理を並べたんだ、好評で感無量と言ったところだろう。 「お引越祝いにいい中華鍋を頂いてね、今日は皆が来るっていうから張り切って作っちゃったの」 「炒飯の食感とか最高だろう。豚の角煮も柔らかくていいぞ」  食え食え、と大五郎さんがどんどん皿に盛っていく。カミヤにせよひのえにせよ食の太い方ではないだろうし、この量を食べきるには気合いが必要そうだ。 「そっちの麻婆豆腐、取ってもらっていいですか」 「あらチリ君、ごめんなさいね、遠いところにあって。お皿ちょうだい、よそってあげるわ」 「いや、自分で……」  自分でやると言おうとしたら、ひのえにひょいと皿を奪われ、そのまま桜さんの手に。 「ありがとう、ひのえちゃん」 「ひのえさん、手慣れてますね」 「大家族ですから、うち」 「そうだなぁ、三鬼の本家はお弟子さん含めて大所帯だものなぁ」  はい、と麻婆豆腐のたっぷり盛られた皿が渡される。桜さんのにっこり笑顔付きで。 「満くんもひのえちゃんも、欲しい物があったら言ってね。まだまだ沢山あるから」 「はい。ところで、ひのえさんのご実家って、どんな風なんですか」 「どんな風?」  ひのえが首を傾げる。 「雰囲気って意味だろ。弟子って、何の弟子? 華道?」 「古武道の道場をやってるんだよ。こう、あちょーって感じの」  身振り手振りで大五郎さんが説明する。なんだ、中国拳法か何かか? 「……そんなことは言いませんよ。徒手と刀術の二流があって、宗家の門下生も――数えたことはありませんが百名は下らないかと。住み込みの方も、お手伝いさんを含めて大勢いますから、食事時は随分賑やかです」 「ああ、なるほどそういう。ひのえさんもその古武道というの、やっているんですか?」  カミヤの問いに、勿論、とひのえは頷く。 「これでも宗家の次女ですからね。一通りの基礎は叩き込まれました」 「格好いいぞー、胴着着たひのえちゃん。大の大人をばったばった倒してくんだ」 「怖っ」 「チリさん、あとで組み手でもしましょうか」 「やめろよ」  笑われてしまう。大口を開けて大五郎さん、反対に口元を隠すように桜さん。不器用そうな笑みを浮かべるカミヤ。苦笑気味のひのえ。つられてこちらも笑ってしまう。  照れ臭くて、熱々の麻婆豆腐に息を吹きかけて、口に含む。スパイスの効いた豆腐と挽肉の柔らかさと香ばしさに舌鼓を打つ。視界がぼやけてしょうがない。あまりの熱さに少しだけ涙目になりながら天井を仰ぐ。吊された電灯、食卓とそれを囲む人々。ぬるくて優しいそれは、言い換えれば――。 「あ――」  レンゲを置いて、シャツの袖で目元を拭う。 「どうしたチリ君」 「先輩?」 「ん、いや。ちょっと目に汗が」 「そうか。冷房、もっと下げるか?」 「私は少し寒いくらいです」  変な言い合いだった。自然と笑いが零れるような、密集して暑苦しいような、いっそ清々しいような。ぎこちない。手が震えている気がする。不自然な温かさ。旨い料理を食べたからか? それもありそうだ。最近食べた手の込んだ料理と言えばミキ製のあんパンがせいぜいだったし、慣れてないだけかも知れない。 「そうだ、みんな好きな食べ物はある? 明日のお夕飯、まだ決めてないの」  桜さんの言葉に、居候三人組が顔を合わせる。そしてひのえはご自由に、とばかりに視線を切ってカップに口を付ける。 「俺も何でもいいよ。カミヤは? なんかあるだろ」 「ええっ、えっと、その」  カミヤに振ると、予想通りあたふたし始めた。ありすぎて困るのだろう。 「あの、じゃあ……カレー、とか?」 後 「あれ、カミヤはどうしました?」 「もう寝室に行っちまったよ。疲れたんだろう」  散々引っ張り回しちまったからな、と大五郎さんは席に座って笑っていた。その手には缶ビールが握られている。 「湯加減はどうだったね」 「いい風呂ですね。バリアフリーっていうんですかね、ああいうの。手摺りが一杯付いてて、バスリフトみたいなのがついてて、おまけに広い」 「はは。まあ、誰が使うか分からんからな」  俺も向かいの席に着くと、桜さんがお茶を出してくれた。氷の入った冷たそうなカップを手に包むと、ひんやりとした感覚が身体を伝ってきた。 「酒、飲むんですね。夕食のときには飲んでないから、そういうもんだと思ってましたけど」 「血糖値血糖値。ま、こういういい日でもなければ飲まんよ。学生の頃はもっと飲んでたんだが、結婚してからはとんとだな。チリ君もあんまり飲み過ぎちゃいかんぞ」 「ふぅん。まあ、まだ先の話ですからね」  いい日、と来たか。とことん善良な市民だな、この人は。 「風呂、どうします? 今空いてますよ」 「ああ、俺は最後でいいよ。ひのえちゃーん、先にお風呂、入っておいで」  はい、という声がキッチンの方から聞こえた。どうやら桜さんと一緒に片付けを手伝っているらしかった。 「済みませんね、なんか勝手に押し掛けて来ちゃって」 「いやいや、構わんよ。こういう賑やかなのも久々だが、いいもんだしな」 「はん。子どもでも作りゃいいのに」 「おう、そうなんだがな。経営が安定するまではよそうって決めててな」  立派なことだ。産むは産んでも育てられなくなって問題化するのが最近の流行とは言えど、そういう自己判断ができる夫婦は長続きするだろう。 「この診療所は、二人でやってくんですかね」 「そうさなあ、しばらくはそのつもりだが。上手くいけば人を雇って、もっと大人数看られるようにしたいとは思ってる。町内にもいい人がいるんだよ、子育てが一段落して、またちょっと働きたいっていう奥様がね。ウチにおいでよって先約取ってるんだ」 「へえ」  先行きは安泰と言ったところか。なんだかんだで不況の色の残る昨今だが、この人の逞しさなら大丈夫だろう。というか、無人島に一人連れて行けるなら誰、と問われて一番に挙がるのが現状この人だろう。頼もしすぎる。ミキは、まあ論外。 「チリ君はどうだ。学校の方は順調かい」 「ぼちぼちですよ。成績は夏高――夏臥美高校で、期末は十七位でした」 「ほお、そりゃ凄い!」 「いや、夏高ですよ。私立のくせにレベルは平凡のよく分からない学校です。ミキみたく満点一位とか取らなきゃ、自慢にはなりませんよ」 「はっはっは、弥生ちゃんは一位か。相変わらずだな」  酒が回っているせいか、大五郎さんは一割増し豪快に笑った。 「あいつ、転校前もそんな感じだったんですか?」 「だったと聞いてるよ。詳しい成績は知らないが、国内有数のお嬢様学校に難なく通ってた訳だしな」 「お嬢様学校?」 「地元の権力者――まあぶっちゃけると三鬼家なんだが、その血縁者が理事長をやってる学校だよ。推薦貰えるってのにわざわざ難関の一般入試を受けて正門から入学したんだから、流石だよね」  そう言えば、帰り掛けにそんなような話をひのえとしていたよな。血統からして頭の出来が違うとでもいうのか化け物め。ずっとそこに籠もっていれば良かったものを。 「そんないいところにいたのに、出てきたんですか、夏臥美へ。何の気まぐれですかね」 「ううん、私もあんまり詳しくはないんだが、機関の仕事関連らしいんだな。次期当主の呼び声高い弥生ちゃんがわざわざ出向く用件というと、ちょっと想像はできないが」  やっぱり、擬獣関連なのかな。ミキの目的なんて知ったこっちゃないが、俺が手伝わされている仕事がその一端であることは想像に難くない。――言われてみれば、少しずつだが、擬獣の出現頻度が上がってきたように思えるのも気掛かりと言えば気掛かりだ。  ひのえの言葉を思い出す。お姉さまは大役を仰せつかっているのに、とかそんなようなことを。 「なんか、思ったよりもきな臭い感じですね、夏臥美。住んでるのが嫌になってきた」 「まあまあ。弥生ちゃんが出張った以上はどんな災難も終息するさ。大船に乗ったつもりでいるといいよ」 「泥船でなければいいんですけどね」  ミキが来た影響でおかしな事になりつつあるのかと思えば、ミキはそれを食い止めに来た、か。……本当に、複雑な。 「それはそれとしてチリくーん。弥生ちゃんとの仲はどうなんだい?」 「は?」  赤い顔でまた嫌なことを言い出したよこのおっさん。 「弥生ちゃんの仕事を手伝ってるんだろう。それも重大な、命を賭ける仕事だ。そういう背中を預けられるような仲間は得てして、特別な感情を抱くものだ」 「はあ。特別な、ねぇ」  まあ、間違ってはいない。間違ってはいないが。酒臭いぞおっさん。 「性格は合う合わないがあるが、あの外見を醜いと評価する人間はなかなかいないだろう? 男としてはどうだ、ぐっと来るものがあるんじゃないか? ん?」 「そりゃあまあ……って」  慌ててキッチンの方を見る。聞こえるのは水音だけ。幸い、ひのえはもう風呂に行った後のようだ。 「はあ……勘弁してくださいよ。ひのえの耳にでも入ったらビンタじゃ済みませんよマジで」 「ははは、違いない。お姉ちゃんっ子だからな、ひのえちゃんは。だがいずれ、ひのえちゃんも姉離れをしなければならない日が来る」  缶をひと仰ぎすると、大五郎さんは遠い目をして笑った。 「美人過ぎるというのは、得でもあり損でもある。チリ君は、弥生ちゃんが誰かに告白された、という話を聞いたことがあるかい?」 「……いや、そう言えば確かに、全然。崇めてるような感じではあるけど、一定以上近寄ろうとしないっていうか」 「だろう。高嶺の花、という言葉ですら生温い。彼女は、時代が違えば神だの聖女だのと呼ばれ、民草から崇拝されるような人物だ。そういう能力、素質、……或いは魔力のようなものさえ備えている」 「魔力……」  それは、必ずしも崇拝に結びつく要素ではないのではないか? 異端者だとか、魔性、魔女。そういった存在が迫害を受けた歴史は確かに存在する。髪の色が違う、肌の色が違う、目の色が違う、言葉が違う、風習が違う……。自分と違う者に対する扱いは、善悪と同じように時代と共に移り変わってきたのではなかったか。  大五郎さんは頷いて先を続ける。 「鬼。三鬼家は古の時代より鬼を従える一族だったが、他者からは三鬼の者こそが真の鬼であると言われ続けてきた。鬼とは、鬼(あく)だ。人間の敵なんだ。機関が今の形になるよりもずっと昔、三鬼はこの国の表舞台から見ての悪だったそうだ。八剣、六条、二木という『善』の人間たちと争い、負けた。力を奪われ、土地を奪われ、信仰を奪われ、今に至る。そういう歴史がある」 「……八剣」  八剣に注意しろ。そうか、三鬼にとって八剣は仇敵の名前だったんだ。遙か過去から続く因縁の相手。だから、私を選んでくれて嬉しいと言ったミキの言葉は、少なくとも本心だっただろう。  ――それを俺は、信用してなかった。 「ミキは……どう思ってるんですかね。自分がそういう、偶像視されたり、逆に疎まれたりする人間であることに」  疎まれる。俺のような人間に。 「どうかな。それは彼女自身に聞いてみないと分からないだろう。彼女の生い立ちは特殊だ。その希有な道を歩んできた彼女の精神が今どんな形をしているのか、この目で見てみない限りは分かるはずもない」  ――そんなの、絶対に分からないのと同じじゃないか。 「彼女は賢い子だ。理不尽に降りかかる不幸さえ糧にする力を持っている。しかしね、人は決して、一人では生きられないんだ。完璧にさえ思える彼女にだって、支えてくれる誰かは必要な筈なんだ。――なあ、チリ君」  大五郎さんは真っ正面に俺を見て、言う。 「弥生ちゃんを、支えてあげてくれないか。ほんの少しでいい。僅かな間で構わない。それは私にはできないことだ。ひのえちゃんにも、彼女を取り巻く多くの人々にとっても、同じことだ。君にだから出来る。君は今、そういう立ち位置にいる」 「俺は。俺には、そんなこと、何も」  ミキの助けになれるか。それは、擬獣の話じゃない。俺にはミキにできないことができるというけれど、そういう話じゃない。三鬼 弥生という人間を支えるというのは、そういうことじゃきっとない。  掛け替えのない誰かであること。本当の意味で側にいるということ。本当の友達。本当の仲間。時に隣り合い、時に向かい合い、対等な存在であるということ。  それは、難しいことだ。傾聴と共感。共感と誤解は、常に隣り合わせだ。自分は彼、彼女の役に立っている、心の底から理解し合っている――そんな自負が何の役に立つ? それが思い込みでないと誰が証明できる? 俺たちは結局のところ他人だから、究極的な意志の疎通なんかできるわけがないから、寄り添い合うことでその実、針のむしろのように傷付け合うことだってあり得る。最悪なのは、互いにそのことに気付きさえしないことだ。  俺に、三鬼 弥生を助けることができるのか?  その問いかけは、結局のところ、ただ一つに集約されるのだろう。  傷付け合うかも知れない。  損ない合うかも知れない。  それでも、彼女の側にいる覚悟があるか、否か。 「俺は」 「うん」 「俺は、ミキが怖い」 「……そうか」  口にしてから、どうしてそんなことを言ったのか疑問に思った。  俺と、ミキの間にある、あると感じている隔たり。  これは一体なんだ?  何かが、俺とミキを隔絶している。  ミキを信用できない何か。  ミキを直視できない何か。  ――背いたら、いいかい。私は、アオは、君を殺すよ。  そういうことなのか?  俺がミキを嫌う理由は、本当は――。 「チリくーん、ちょっとお願いがあるんだけどー」  突然、キッチンの方から桜さんの声が聞こえて、思考が中断される。覗いてみると、どこの大学生さんですかと聞きたくなる若奥さんが顔を出していた。 「シャンプーがね、もう切れそうだったの、思い出したの。トイレ脇の収納に詰め替えがあるから、ひのえちゃんに届けてあげてくれない?」  それ本気(ガチ)で言ってるの? この奥様。 「あ、脱衣所にある洗濯機の上に置いておけば大丈夫、ひのえちゃん気付くと思うから。ね、お願い」  どうやら本気らしい。しかし洗い物に忙しそうな桜さんと飲んだくれてる大五郎さんを交互に見遣って、ああこれは居候の仕事だなと納得してしまう。カミヤめ、いいところで寝落ちしやがったな。  そういうわけで、詰め替え用のパッケージに入ったシャンプー(リンスインではない)を手に、脱衣所の前まで来たわけであるが。  ちょっと待って欲しい。俺は、例えば、ここで不用意に脱衣所に突撃して裸ないし下着姿の女子とご対面するような馬鹿丸出しのラブコメ主人公ではない。はっきり言ってしまって、ああいう手合いは極めつけの阿呆であると認識している。だってそうだろう? 常識的に考えて、異性と同じ家にいて、トイレとか風呂とか警戒しない奴がいるか? 慣れてるとか慣れてないとかの問題じゃない。あいつら、頭のねじが二、三本ぶっとんでるとしか思えない。ご都合主義のお色気シーンなんて現代社会じゃお呼びじゃないんだよ。ませた少年たちが鼻で笑うわ。  脱衣所の木製ドアを強めに三回ノックする。返事はなし。とりあえず脱衣所内にはいないようだ。  続けてドアに耳を当てる。当てなくても聞こえていたが、シャワーの音が響いている。この二つの事実から察するに、ひのえは今風呂場でシャワーを浴びている最中と見た。  万に一つという可能性を考慮して、努めて慎重に、ほんの僅かにドアを開ける。――衣擦れの音、人の気配は、ない。オールクリア、残りの工程はブツを目標地点に置けばミッションコンプリートだ。  あとは落ち着いた行動を心掛ける。平常心を保ちつつ扉を充分に開け、中へ踏み込む。湿度が上がって蒸し暑い感じだが、長居は無用、さっさと出てしまえば何の問題もないのだ。  洗濯機の場所を確認する。オーケー。  詰め替えシャンプーを蓋の上に置く。オッケー。  風呂場の扉ががらりと開く。オッ――。 「桜さん、シャンプーが空のようなんですけれ、ど」  白い髪は多分に水を含んで、滴り落ちるほどだった。その様子は水鳥の翼を思わせた。  視線が下に泳ぐと、なだらかな曲面が――服の上からではほとんど見られなかった凹凸が、はっきりと見て取れた。その頂上と思しき場所は片腕で隠されていたが、しかし、その隙間から見える膨らみとか、腰のくびれとか、中学の水泳の時間で見ようと思えば幾らでも見られた(名誉のために言っておくと、まじまじと見た事なんて一度もない)身体の形が、水着越しではない、いわゆる濡れ鼠の全裸という状態で目に入った。それにしても、なんて真っ白な肌だろう。白亜のような、一面の白。染み荒れも一つもない。こんな全身真っ白な人間が実在するなんて驚きだ。驚くより他にない。そう、俺は驚いていた。驚いている自分を客観視している自分がいる。だから、早く言葉を発して弁解した方がいいということも、ちゃんと分かっていたわけで。 「その。なんというか。言い訳を言わせてもらえるなら――」 「いいえ。何も言わなくてもいいわ」 「はい」  はいとしか言えなかった。 「今のは、私の不注意でした。誰かが脱衣所に入ってきていたのは気付いていたけれど、私はてっきり、桜さんだと思って」 「はい」 「私の不注意でした」 「はい」  ひのえは同じ言葉を繰り返した。  俺はそれ以上に同じ言葉を繰り返した。  馬鹿である。  見ればひのえの頬が少しだけ赤い。肌が白い分、紅潮すれば目立つのだ。恥じらっているのか? それはそうだろう。当然と言えば当然だ。年頃の女子中学生が、異性に裸を見られて平然としていたら不自然だろう。視線を落として、真っ白な睫毛で瞳を隠すように俯いている。  いや待て、何を悠長に観察しているのだ。相手は非を認めているのだから、これ以上火傷しないうちに扉を閉めるべきではないか。それが健全な年長の男子としての配慮というべきものではないのか。  そうして扉に手を掛け、締めようとするのを。  ガッと。  ひのえの片手が封じる。 「でも」  ひのえは片手で胸を隠したまま、もう片方の手を大きく振りかぶり。 「それとこれとは、話が違うと思うんです」  さっと両頬をガードする俺の思考を読んだかの如き鉄拳が、ノーガードの俺の腹に突き刺さった。  ――お前。そういう時は平手打ちと相場が決まっているだろう。  鳩尾にグーはねぇよ――  さっと詰め替え用シャンプーを掴み上げたひのえは、今度こそ勢いよく扉を閉めた。  意識をなんとか保ちつつ、口が「お」の形から動かせないまま、俺は静かに沈んでいった。  後日談。  律儀なひのえは、このときのことをミキに報告したらしい。  ミキは案の定、大爆笑していたそうだ。