夏夜の鬼 第二章「朏 千里馬」 5                                         *  最悪なことに、今日は母親の帰りが早かったらしい。きっとお相手(・・・)の都合だろうが、そうなると益々機嫌は悪いだろう。 「嫌だなぁ。鉢合わせとかしたらほんっと嫌だなぁ」  気色悪いくらいに真っ赤な外車を尻目に、玄関の前で硬直すること一分前後。でもやっぱり鞄は邪魔だよな、ということで潜入を試みる。音を立てないように玄関扉を開け、中の様子を窺う。……テレビやシャワーの音はなく、苛ついた足音も聞こえない。ラッキー、寝室で寝てやがるな。  慎重に忍び込む。想像通り無造作に転がっていたハイヒールを避け、靴を脱ぐ。――ふとよぎる記憶。ただいま、おかえり。そんな退屈なやりとり。ここからその声が聞こえなくなったのは、一体いつからだったか。どうでもよすぎて忘れてしまった。きっともう、ずっとずっと前の話なんだろう。  階段を上がり、まっすぐ自室へ向かう。母親がいるのだろう寝室が近いだけに、より一層注意深く。制服の擦れる音、床の軋む音、普段は聞き逃す僅かな音にさえ肝を冷やしながら、やっとの思いで目的の部屋に辿り着く。  馴染んだ空気。自然と漏れた溜息は、多少なり緊張が解けたためなのだろうか。どっと疲れたような気がして、そのままベッドに倒れこむ。  目を瞑っていても自室へ辿り着けるくらい慣れているのに、愛着の一つも持てないこの家。別に、住処に好きも嫌いもないし、ちゃんと住むことさえできれば文句はない。たとえば三鬼の住むボロアパートの、あの外装そのままのボロい一室であっても。ちゃんと生活できさえすれば文句はない。  けれど、この家は。父親と母親と俺の三人が住むこの家だけは、何年もの月日を経た今も尚、どうしても好きにはなれなかった。家出を何度も考えたのも、だから仕方のないことだったけれど。養われる立場――平凡な子どもである自分では、一人で生きていくことなど出来ないのだと、初めから分かっていたから。ずっと耐えている。一人でも、自分を生かすことが出来るようになるまで。 「……さて」  あまり長居していると、不機嫌の塊が起きてこないとも限らない。やや苦戦しながらベッドから起き抜ける。服装は、制服のままでいい。鞄を机上に置き、財布だけポケットに移して、また部屋を出る。  特別行き先はない。けれど目的はある。夕暮れまであと僅か。日が沈む頃にはきっと、標的は姿を現すから。  階段を下り、すぐに玄関へ足を向けようとして、一旦思い止まる。誰もいないことを確認しながらリビングへ向かい、やはり予想通り無造作にテーブル上に置かれた新聞を手に取る。読み慣れないために多少手間取ったが、地方欄から目的の記事を見つけ出した。  安心して息を吐く。嘘みたいな話だったから、実は嘘なんじゃないかと一瞬心配したが。  問題ない、ちゃんと現実だった。                                         前  風が徐々に冷たくなっていく中、俺は普段歩きもしない街路を彷徨っていた。見上げた空は、僅かな隙間をぽつぽつと残し、厚めの雲で覆われていた。西が朱色に染まる傍らで、東の山際はゆっくりと明度を失っていく。夕日によって部分的に変色し、黒と赤が混じって見える巨大な雲は、マグマの滾る荒れた地表を思わせた。  こんな空は初めてだった。天候ではなく気分の問題。何にも縛られずに見上げる空は、本当に、今まで見たことのない姿をしていた。いつも何かに追われている気がした。いつも誰かに見張られているようだった。ずっと何かを焦っていた。……でもきっと、もうすぐだ。もうすぐ、こんな空が当たり前に思えてくるはずだから。  思わず笑いが零れる。けれどすぐに引き締める。突然笑い出す男なんてどう見ても不審者だから、というのもあるけれど。だってまだ終わっていない。ゴールは目前だけど、最終コーナーでクラッシュでもしたら笑えない。こんな時こそ冷静さを忘れてはいけない。大丈夫、大丈夫だ。問題は目に見えている。これ以上ないくらい、はっきりと分かっているから。 「……今日は出るかな、自殺者」  昼休みに三鬼が切り出した話題。三鬼はあんな風に言っていたけれど、今思えばやはり、三鬼が何かを隠しているような気がしてならない。 「いや、隠している、って言うよりは」  単純に、言う必要がなかったのだろう。真実は誰もが求めるモノだけれど、理解出来ない真実は嘘となんら変わりない。本当のことを話して訝しがられ、酷ければ嘘吐き呼ばわりされるかも知れない。そんなことを“自分だけが真実を知っている”という優越感に駆られて口にする程、彼女は愚かじゃない。彼女自身言っていたことだが、彼女は無駄なことはしない。俺だってそう思う。三鬼 弥生に、無駄なことなんて似合わない。  ならば、彼女の知る真実とは何なのか。 「……考えるまでもないよな。と言うか、それしか思い浮かばない」  擬獣である。  例えば、そこに在るだけで人を死に追いやれるような擬獣がいたなら。いや、そんな面倒なモノじゃなくても、相手の身体の自由を数秒奪ってしまえればそれだけで足りる。この事件は普通じゃないし、偶然と言うにはあまりに出来過ぎている。だとすれば原因は必ずあり、その原因もまた、普通じゃないモノに決まっている。  死んだ人達は自殺と判断されているけれど、確かな原因が実在するならそれは殺人だ。自分を殺した人間を罰しようとは思わないが、他人を殺したモノならば話は違う。まして、これ以降も人を殺し続ける可能性があるとしたら尚更である。  今まで俺は、何匹もの化け物を葬ってきた。それは奴らが、人間に危害を加える形をしているようにしか見えなかったからだ。放っておく訳にはいかない。奴らを排除出来る力があるのなら、率先して使わなくてはならない。そう考えて、俺は奴らと戦ってきた。  だから今回だって……いや、今回だからこそ見逃す訳にはいかない。なにせもう実害が出てるんだ。俺が今まで必死で避けてきた現実が、こんなにも堂々と成り立っている。早く。一刻でも早く、原因を突き止め、排除しなくてはならない。  空を藍色が侵蝕していく。星空ではなく、ただ黒く塗り潰された天井が広がっていく。辺りが暗さを増していくと共に、俺の心もまた、暗がりに目を向け始める。  問題は二つ。一つは擬獣についてだ。  あの連続自殺が擬獣の仕業であることは十中八九間違いない。この町でのみ起こった事件なのだから、擬獣はこの町の何処かに、確かに“いる”ことになる。ならば何故、俺は今日までそのことに気が付かなかったのか。  俺だけの特別な力なのか、界装具とやらを持つ人間のみんながそうなのかは知らないが、俺には擬獣の居場所が分かるのだ。ソレが現れた瞬間、その場所への方向と距離が感覚で認識出来る。……認識出来るだけなら、便利の一言で済んだんだが。その感覚というのがあまりに強烈で、無視し続けていようものなら落ち着いて座ってもいられない程に自己主張をしだすのだ。しかも擬獣が消えるまではそっちも消えないときている。どうやっても擬獣とは縁が切れる気がしない。  何にせよ俺は、感知した擬獣は全て潰してきたはずだ。何匹だったかは記憶してないが、一匹たりとも取り逃がしてはいないはずだ。……なのに、いる。いるのに、感知出来なかった。現れさえすれば確実に気付くはずなのに、この一ヶ月間、俺はずっと知らないでいた。  俺には感知出来ないのか、それとも相手が、感知されないような何かを働かせているのか。どちらにせよ厄介な話だ。倒す為には自分の目で見つけ出すしかない。視界に入りさえすれば即座に分かるだろうが、それでも夏臥美町全域を隈無く探し続けるのは非常に手間だ。どうでもいい奴はすぐ捕まるのに、肝心な奴が出てこない。本当に、世の中って上手く行かない。 「ま、それでも探すけどさ」  どうせやることなんかないんだし。むしろもう一つの問題の方こそ、悩ましくって仕方がない。  空が暗色に統一される。視界を狭める闇が町全体を覆っていく。捜しモノには適さない夜だが、俺にとってはそうではない。右手に得物を握り、静かに民家の屋根上へ跳躍する。五メートルを優に超える垂直跳び。普通の人間じゃまず真似出来ない芸当も、界装具を出した今の状態ならば充分可能だ。夏臥美町を横断するのにも三十分と掛からないだろう。唯一残る“誰にも見つかってはならない”という制約も、黒い髪、藍色主体の制服、見事なくらいに真っ黒な俺の得物、それら全てが都合良く解決してくれる。広範囲の捜索なら、夜の方が断然効率良く出来る筈だ。  そして思い立つ。人に言えない捜しモノの在処は、人気のない場所と相場が決まっている。  周囲に気を配りつつも、弾くような感覚で足場を蹴り、駆け抜ける。イメージは黒豹。屋根の上を軽快に飛び跳ねる影。癖になりそうなくらい心地いい疾走感に酔いしれながら、未だ現れない獲物を確実に追い詰めていく。 「まずは――南区工業地域」  人気の少ない所を探そうと思えば、心当たりは幾らでもある。具体的に言えば駅周辺の中央街を除く夏臥美町全域。町を囲む山々まで加えれば、どう考えても俺一人じゃ足りない。三鬼の手なんて借りられないだろうし、ある程度当たりを付けて探さないと駄目だ。そういう意味では、あの工場群は最もそれらしい場所と言えるだろう。  見渡す限りの灰色。薄汚れたコンクリや鉄の塊がゴロゴロとした、一見して廃虚のような区域。中でも正真正銘の廃虚、稼働すらしていない工場が寄り集まったある一角は、ともすれば墓地にも似た雰囲気を醸し出す。小中学校では、教師が生徒に『絶対に近寄らないように』と言い含めるような場所であり、反面、若者の間では一種のホラースポットとして噂されるそれなりに有名な場所でもある。尤も、後者の方はとっくに廃れ済みで、今では面白半分に近づく人間もいない。あの場所のこと自体は知っていても、現在どういう状態になっているのかを詳しく知っている者はほとんどいないだろう。一時期は、あそこの工場では極秘裏に禁断の生物兵器を研究してるとか、人知れず殺されコンクリに埋められた女が誰かを道連れにしようと彷徨っているとか、実は入ったら二度と抜け出せない魔窟に繋がっているとか、呆れるくらい多種多様な噂が流れたものだったが。まったく、そういう色物に興味を示すような連中は移り気でどうにも好かない。  だからこそ向かう価値がある。本物の幽霊でも出てきたら迷惑だが、今更そんなモノを恐れたりはしない。恨み辛みを一々気にしなきゃいけないなら、弱肉強食の世界で生きてる野生動物はとっくに死滅している。結局のところ幽霊なんてものは、本当に恐ろしいモノを知らない人間が勝手に作り出した虚像でしかない。  快調に目的地へと飛ばしていく。距離はそう短くないが、体力的には問題ない。休みなく、このまま一直線に終点まで走り抜けていくつもりが、 「――え?」  瞬間。後ろから、誰かに肩を叩かれたような気がした。 「……参ったな」  舌を打って後ろを振り向く。感覚の源は町の北西、向かおうとしていた場所とは完全に逆方向だ。しかも、結構な速度を出して走っていたお陰で、工業地域までの距離よりも遠くなってしまった。家を出た瞬間に現れてくれれば、こんな無駄な時間は作らなかったものを……。 「愚痴ってる場合じゃないか」  行くなら急がなければならない。行かないのは我慢ならないから絶対行く。ならばやはり急がなければならない。恐らくはそこへ三鬼も向かう。だから三鬼よりも先に到着し、早急に事を済ませなければならない。  屋根を幾つか伝って大きくUターンし、全速力でその場所へ駆ける。さっきよりもずっと速く動かしている脚は、さっきよりもずっと軽くなった気がする。どうしてだろう、どうしてこんなに、楽しいのだろう。多分、今向かってる先にいる擬獣は捜している奴とは違う。こんな簡単に感知出来てしまうモノなら、十人も殺される前にぶつかってる。でも、それでも何故か、どうしようもなく楽しく思える。今この時が楽しくって仕方がない。何故か? 何故だろう……ああいや、ちょっと考えれば分かった。だって自由! 俺はこんなにも自由! 昨日より一昨日よりずっと、ずっとずっと自由だ。そして明日はきっと、もっともっと自由なんだ。なんて素晴らしいんだろう。自分の好きなことが自由にできる、こんなにも素晴らしいことは他にない。今はまだ少しだけ不自由が残ってるけど、それだってもうすぐ、俺が思っていたよりもずっと早くカタが付く。とても自由、もうすぐ自由! ああもう、何が『何故か』だ。数秒前の自分にすら腹が立つ。こんなにも明快なことが分からなかったなんて、なんて愚かだったんだろう!  楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。気が付けば自宅すら、疾うに遙か後方だ。住宅街の雰囲気が薄れ、辺りは少しずつ自然の色を持ち始める。この先に建物は疎らで、更に行けば石垣にぶち当たる。そこが町と山の境界線。擬獣が現れたのは――境界よりやや町寄り、ちょっと開けた河原のあたりだ。あそこはたまに、何が釣れるのか、完全武装の釣り人がいたりするんだが、日の暮れたこの時間帯じゃ流石にいないだろう。  好都合だ。周りでぎゃあぎゃあ騒がれてたんじゃ、まともに仕事なんて出来やしない。  足場に出来る建物が消える。月明かりすらなく、先なんてほとんど見えやしないが、昼間であればもう、目的地の河原も肉眼で確認出来る位置だろう。  そして。闇に紛れ、何一つ見えない筈の空間に。ゆらりと動く、半透明の何かが見えた。 「――いた、けど」  可笑しいな。なんで、二つもあるんだろう。  そんな疑問もお構いなしに。俺の身体は、その領域へと踏み込んだ。                                         後  半透明だったモノが、その形を露わにする。きっとあれが、地獄の猟犬というやつなのだろう。首が一つしかないのは空気読めと言いたくなるところだが、それ以外はまさに地獄である。緑の自然がどす黒い影に覆われている。微かに既視感を覚える。あるはずの色彩というものが存在せず、全てが黒一色に塗り潰された世界。物体を視認する術は、どこからかぼんやりと漏れ出る光によって照らし出される、最小限の輪郭把握のみ。この景色は明らかに、闇夜に因るものではない。川が、砂利が、草木が、空が、一様に黒い色をしているのだ。  天国を白金の世界だとするならば、相反する性質を持つこの空間こそ、地獄と形容するに相応しい。  そして、河原際の砂利道にそれは立っていた。昨日の見たモノと同じくらい巨大な犬、だけど色は白じゃなく黒。遠目に見ればなかなかに上品なドーベルマンで、すらりと伸びた四脚はサラブレットを思わせる。しかしドーベルマンと言えば、警察犬にも使われるくらいに敏捷、かつ勇敢な犬種だ。しかもあの剥き出しの歯茎とか、ぼたぼた流れ落ちる唾液とか、凶暴性が溢れんばかり。とても呑気に格好いいなんて言ってられる相手じゃない。  そんなドーベルマンが睨む先は俺ではない。その獰猛な視線は、犬に負けず劣らず巨大な、ここではあまりに目立つ赤い塊―― 「あ」  犬、こっち見た。  砂利道よりやや手前の小さな土手に着地する。それと同時に黒犬が駆け出す。標的は明らかに、今入り込んできたばかりの俺。いけない、迂闊に近づきすぎた。やはり瞬発力が尋常じゃない。距離からして、接触までは一秒とない――  考えるより前に身体が動く。出鱈目に、しかし確実に敵を捉える位置に、右手の得物を突き出す。――接触。手応えがない、だが直撃だ。一瞬で詰め寄ってきた犬は一気に減速する。切っ先は犬の口から、容赦なく脳髄を串刺しに―― 「っ!」  予想外の出来事に喉が引きつる。突き刺した筈の犬の顔が、ドロリと、蝋か何かのように溶け出した。  まとわりつく黒い液体を振り払い、真横に飛んで距離を取る。犬はその場にとどまり、ぐちゃりと耳障りな音と共に弾ける。完全に固体としての姿を失ったソレは渇いた地面に這いつくばり、何かを求めるように端々を伸ばしていく。……気色悪いにも程がある。そう思った途端、液体は急速にまとまり始め、再び巨大なドーベルマンとして、無傷のままに再生した。 「け、ど――」  この時、自らが取った行動に後から驚かされることになる。急所を貫いた筈の相手が未だに死なずにいる。それどころか、何事もなかったかのように元に戻ってしまった。敵は未知、しかし液体。そもそも形のないイキモノモドキ。槍で突こうが銃弾を撃ち込もうが痛手など負わせられる訳がない。ただ斬り裂く為の武器しか持たない自分では、負けることがなくとも、僅かな勝機すらない。それが常識的思考。立ち向かうことに意味などなく、だからこそ今この時は、全力で離脱すべき状況だった。  だが。その一瞬、無意識に自身を突き動かしたのは。 「さぁ――!」  無駄だ、と叫ぶ常識(じぶん)を振り切り、自ら作った敵との間隔を縮める。敵は――再生の代償だろうか――臨戦態勢ではあるものの極端に動きが鈍い。根拠のない自信は確信へと繋がる。次に繰り出す一撃に全力を込める。自らの力と、どこからか生まれる活力。右半身が喜びに吼える。爆発的な推進力で以て、間抜けに屹立する駄犬を斬伐する。  勝敗は、意外な程にあっさりと付いた。一撃で左右に両断された黒い犬は、再び液体へと変わる前に霧散した。闇の中に、やぶれた黒が吸い込まれていく。その様は――どうしてそう思ったのかは分からないが――まるで、周辺の黒に、犬だった破片が喰われていくような、そんな光景に見えた。  主の消滅と同時に、黒い世界も戻っていく。塗り潰された黒ではなく、薄暗い夜の河原へと変わる。新しい音を聴覚が捉える。何かの虫の声と、そして、何者かが近づいてくる気配を。 「うん、来るかも知れないとは思っていたけれど、本当に躊躇い無くやってくれるね、君は」  月明かりの弱いこの夜でもその髪は輝き、美しく風に踊る。確認するまでもない。それは赤い鬼を背後に従えた、三鬼 弥生であった。 「一応聞いておこうか。昨日私が言ったことを覚えているかい?」  明かりが少なくて三鬼の表情が読み取りづらい。ただ何となく、困ったような顔をしているように見えた。 「覚えてるよ、手を出すなって。でも仕方ないだろ、襲われたらやり返すしかない」  ぶっちゃけると、どうやって三鬼から擬獣(えもの)を横取りするか色々と考えていたんだが、向こうから攻めてきてくれたのは好都合だった。これで三鬼が来る前に倒せていれば満点だったんだが……意外に来るのが早かったな、三鬼。彼女も巡回していたのだろうか。 「まあ、それは正当防衛になるけれど。なら君は、ここに何をしに来たのかな。まさかアカを応援しに来た訳でもあるまい」  そう言えばしていなかったなと思い、擬獣感知の件を話す。ついでに二割くらいの誇張も忘れない。本当は三鬼に任せるつもりでいたけれど、あの感覚に我慢出来なくなってつい出てきてしまった、と。これならばそう不自然な話ではないはずだ。 「ふん、成る程ね。……擬獣が君を優先して襲ったのは、あの擬獣にとって、突如侵入してきた君の方がアカよりも脅威だったからに他ならない。だとすれば、我々が対処に時間を掛け過ぎたことも含めて、私の方にこそ責任がある訳か。うん、それは悪いことをした。済まなかったね」 「え、……いや。別に、いいけど」  まさか謝られるとは思っておらず、しどろもどろに返してしまった。なんか凄い罪悪感。こんなにいい人を騙していいのだろうか……いやいや、別に騙してなんかないぞ俺は。嘘は一つも言ってない。本心をほんの少しだけ隠して、ちょっと大袈裟に語ってみただけなんだから。 「さて、もうここにいる理由はないね。今日は釣り人もいないみたいだし。私は家に帰るけれど、君も来るかい?」  知りたいことがあるんだろう、と。彼女は笑顔でそう言った。俺の答えは、悩むことなく口に出来た。